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更新日:令和6(2024)年2月19日

ページ番号:5973

(大多喜町)地獄橋

内容

国道二九七号線、大多喜町と勝浦市の境に『地獄橋(じごくばし)』と呼(よ)ぶ橋が架(か)かっている。何も地獄なんて縁起(えんぎ)の悪い名前をつけなくていいのに、と思っていた。しかし、この橋が地獄橋と呼ばれなければならない話が伝わっている。

世(よ)は戦国(せんごく)の房総(ぼうそう)に
武田(たけだ)や正木(まさき)の根古谷城(ねごやじょう)
万木(まんぎ)の土岐(とき)と幾度(いくたび)か
干戈(かんか)交(まじ)へし刈谷原(かりやばら)・・・
『大多喜城讃歌』詩・尾本信平

歌にも歌われているように、戦国時代(せんごくじだい)、房総各地の武将は勢力拡大のため、各地で小競(こぜ)り合(あ)いをくりかえしていた。ここ大多喜には武田(たけだ)、正木(まさき)、隣の夷隅には土岐(とき)、安房には里見(さとみ)・・・有力な武将がいくどとなく戦をくりかえしていた。

今となってはだれとだれが戦ったか、確かなことはわからないが戦国時代、今の大多喜町と勝浦市との境で戦(いくさ)が起こった。

霧が立ちこめた未明だった。

「あの砦(とりで)に攻(せ)め込(こ)め」

大将の声で数万の兵が砦に襲(おそ)いかかった。壮絶(そうぜつ)な戦いが始まった。馬も人間も武具(ぶぐ)の音を鳴らしながら、いっせいに走りはじめた。

「敵は逃げるぞ、一気に追え」

不意の襲撃(しゅうげき)に兵達はただ逃げるしかなかった。

「射よ、射よ」

弓(ゆみ)を徹底的(てっていてき)に射させた。倒れた兵の体からおびただしい血が流れた。

「火をつけろ」

砦はたちまち赤い炎につつまれた。

「一人残らず殺してしまえ」

逃げまどう兵に向かって、さらに弓を放った。血の臭いと踏み倒された草の臭いがあたりにただよい、異様な臭いにつつまれた。

砦は焼き払われ、死んだ兵はそのまま火葬(かそう)され、死にきれず息のある者はそのまま焼き殺された。それでも最後の力をふりしぼって刀を杖によろめき歩く兵もいた。しかし、弓で射られ死んでいった。

やがて空が真っ黒になり、雷鳴(らいめい)がとどろいた。稲妻がバリバリ走る。風が吹き、雨がふりだした。戦死し焼かれた兵に、容赦(ようしゃ)なく雨がたたきつけた。その光景はまさにこの世の地獄(じごく)であった。

 

この戦の後、この橋をだれ言うともなく『地獄橋(じごくばし)』と呼ぶようになり、戦争の悲惨(ひさん)さ残酷(ざんこく)さを伝えている。

おしまい

 

出典・問い合わせ先

  • 出典:「広報おおたきNo.424」(「ふるさと民話さんぽ」斉藤弥四郎
  • 問い合わせ先:大多喜町外部サイトへのリンク

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