ここから本文です。

更新日:令和6(2024)年2月19日

ページ番号:6000

(大多喜町)鐘つき正太

内容

むかしむかし、今の大多喜中学校あたりに「鐘(かね)つき堂(どう)」と呼ばれるお寺があった。四十すぎの「鐘(かね)つき正太(しょうた)」という男が働いていた。

稲が黄金色(こがねいろ)に実った、秋のはじめであった。いつものように鐘つき堂にのぼり、明六(あけむ)つの鐘(かね)(午前六時頃)をついた。

 

ゴーンゴーンゴーン

雨の城下に響き渡った。

雨は一日中、降りつづいた。暮六(くれむ)つの鐘(かね)(午後六時頃)をつくため、正太は鐘つき堂に登った。茶褐色(ちゃかっしょく)ににごった夷隅川が目に入った。

ゴーンゴーンゴーン

雨音に消されまいと、強くついた。

 

夜になってから、雨は風を伴いますます激しく降った。

 

ザザーザザー
ピュウーピュウー
ゴーゴー

正太は鐘つき堂に登って、夷隅川を見た。暴雨に混じって、川のあばれる音が聞こえてきた。川が堤防(ていぼう)をこえて、城下にあふれてきそうである(あ、あぶねえ。堤防をこえて水が・・・避難(ひなん)しなければ)とっさに、鐘を打ち鳴らした。

ゴーンゴーンゴーン

風雨の音にまじりながらも城下に響いた。(どうしたんだ、こんな時刻に)と思い、皆起きた。家々に明かりが灯った。

「川があふれてきたぞ。はやく逃(に)げろ。はやく。堤防が破れる。はやく逃げろ。はやく」

正太は、町中を叫びながら走った。

町の人たちは、高台にあるお城に向かって避難した。殿様はお城の門を開いて町中の人を城内に入れてやった。

逃げ終わってからまもなくだ。夷隅川の堤防が破れ、町中が水びたしになった。

「お、おそろしい。正太が知らせてくれなかった、今ごろは・・・・正太ありがとう」

みんな夷隅川の暴(あば)れるようすを見ると、正太にお礼を言った。

 

この時から、この鐘つき堂は時を告(つ)げるだけでなく、災害(さいがい)のときにも鳴らされるようになった。しかし、時計が普及(ふきゅう)すると、やがて取り壊(こわ)されてしまい、今はその面影(おもかげ)はない。

 

大多喜中学校のあたりを、「鐘つき堂」とか「無縁堂(むえんどう)」と呼び、昔この地にお堂があったことを今に伝えている。

 

おしまい

出典・問い合わせ先

  • 出典:「広報おおたきNo.410」(「ふるさと民話さんぽ」斉藤弥四郎)
  • 問い合わせ先:大多喜町外部サイトへのリンク

ページの先頭へ戻る

 

 

お問い合わせ

所属課室:環境生活部文化振興課文化振興班

電話番号:043-223-2406

ファックス番号:043-224-2851

※内容については、お手数ですが「問い合わせ先」の各市町村へお問い合わせください。

より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください

このページの情報は役に立ちましたか?

このページの情報は見つけやすかったですか?