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更新日:令和7(2025)年1月21日

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和気清麿(石井林響筆)

(わけのきよまろ(いしいりんきょうひつ))

 

和気清麿(石井林響筆)

種別

県指定有形文化財(絵画)

指定日

令和5年3月10日

所在地(所有者)

千葉市中央区中央港1-104(県立美術館)

概要

 石井林(1884年から1930年)は、現在の千葉市緑区出身の明治時代後半から昭和初期に活躍した千葉県を代表する日本画家である。明治34年(1901)に10代半ばで上京すると日本画家橋本雅邦に師事し、初期には日本美術院の画風に学び、「石井天風」を名乗った。大正中期からは中国明清の画風を取り入れ文人画風の作風に転じ、「林響」を名乗るようになる。大正15年(1926)に現在の千葉県大網白里市に居を移し、昭和5年(1930)に亡くなっている。

 本作は天風時代の作品で、神護景雲3年(769)、僧道鏡に皇位を譲るよう宇佐八幡の神託があったと称徳天皇に奏上されたことを受け、その真偽を確かめるため勅命により宇佐八幡に赴いた和気清麻呂を描いている。石井は、巨木が立ち並ぶ鬱蒼たる木立の中を進む清麻呂、従者、白馬を画面左右の前景となる巨木とともに細部まで入念に描く一方で、道の向こう側の木々をがかかったように描くことで空間の深さを表現している。上部の枝や欄干に施されたハイライトによって自然光とは異なる光の状態が表され、空間の神聖性を表現している。23歳の若描きでありながら、大画面を破綻なくまとめる構成力、馬の毛描きの謹直な線などに見られる洗練された画技は、「才筆」という当時の評価を裏付けるものである。また本作は、明治40年(1907)に文部省第一回美術展覧会に出展され入選を果たしており、石井はこのことで、画界への本格的デビューを果たしている。このことから本作は初期の代表作の一つと位置づけられる。なおこの出品の後、近年まで本作は所在が不明となっていたが、千葉県の個人宅でほぼオリジナルの状態で伝えられた。令和元年(2019)に千葉県立美術館が寄贈を受け、令和2年(2020)の修理により軸装であったものを額装としている。

 本作は、明治後期の日本画界を特色づける浪漫主義的歴史画のひとつでもあり、林響の画業の中での重要性だけでなく、日本近代絵画史の流れを占める作例であり、千葉県の絵画史上特に優秀な作品として重要である。

お問い合わせ

所属課室:教育振興部文化財課指定文化財班

電話番号:043-223-4082

ファックス番号:043-221-8126

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