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更新日:令和5(2023)年3月2日

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戸塚派揚心流流祖戸塚彦介英俊・二代戸塚英美墓

(とつかはようしんりゅうりゅうそとつかひこすけひでとし・にだいとつかひでよしはか)

戸塚派揚心流流祖戸塚彦介英俊・二代戸塚英美墓

種別

県指定史跡

指定日

昭和18年8月27日

所在地

千葉市中央区市場町10-11

概要

 柔術の起源は相撲とともに極めて古く、戦国時代には多くの流派が生まれていた。明治時代に入って嘉納治五郎らにより講道館柔道が大成され、今やオリンピックの正式種目として国際的スポーツとなっている。

 楊心流柔術は、肥前長崎の医師三浦楊心を開祖とし、江戸芝赤羽(現在の港区三田)に道場をもった楊心流中興の祖といわれる江上武経(えがみたけつね)により隆盛を誇ったが、その門人であった八世師範戸塚秀澄(ひですみ)の子が戸塚派楊心流の流祖戸塚彦介英俊である。

 英俊は、文化10年(1813)江戸に生れた。父から柔術の皆伝を受けて沼津藩主水野家に柔術師範として仕え、近世乱取り中興の祖といわれ、同流の発展に努力した。明治維新の際、水野家が上総菊間(現市原市)に移ったため千葉に転居し、明治18年(1885)には千葉県の柔術師範を務め、明治19年(1886)、78才で没した。

 また、二代英美は、千葉市通町(現中央区中央)に道場を開き、柔道の普及に努めた。明治36年(1903)には、全国で二人の武徳会の柔道範士の称号を授けられたが、明治41年(1908)に没した。

お問い合わせ

所属課室:教育振興部文化財課指定文化財班

電話番号:043-223-4082

ファックス番号:043-221-8126

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