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更新日:令和2(2020)年5月2日

ページ番号:314887

浅間山古墳出土遺物

(せんげんやまこふんしゅつどいぶつ)

浅間山古墳出土遺物

種別

県指定有形文化財(考古資料)

指定日

平成21年3月17日

所在地(所有者)

千葉市中央区青葉町955-2(千葉県)

概要

印旛郡栄町龍角寺に所在する浅間山古墳は、114基の古墳からなる龍角寺古墳群中で最大の前方後円墳である。千葉県史の編さんに伴い、平成6年度に測量調査、平成8年度に発掘調査が実施された。調査の結果、墳丘長77.6~78.0m、後円部径52.0m、前方部幅58.0mと判明した。埋葬施設は、筑波山麓産出の絹雲母片岩(きぬうんもへんがん)の板石が用いられた横穴式石室で、南南東に開口している。絹雲母片岩を用いた石室としては千葉県最大で、石室内から多数の金属製品をはじめとする遺物が出土した。

石室内から出土した主な遺物は、金銅製冠飾(こんどうせいかんむりかざり)、銀冠、銀製花形飾り金具、金銅製装身具、金銅製馬具、鉄製馬具、金装飾り弓、鉄鏃(てつぞく=やじり)、銀装・金装刀装具、大刀及び鉄製刀装具、鉄製小札(こざね=よろいを構成する部品)、刀子等の鉄製工具、鉄製釘などの金属製品が大半を占める。土器は7世紀前半のものが3点あるほか、9世紀前半の灯明皿が出土している。

最も注目されるのが2点の冠で、推古朝における冠位制の成立とは矛盾する遺物であるが、日本列島の周辺部では、中央の支配秩序が十分に及んでおらず、冠位制成立以前に入手した冠が首長墓に副葬されたのではないかと考えられる。また、金銅製馬具には、精緻な毛彫りが施されたものが認められる。

古墳が築造された時期については、石室の型式や出土土器から7世紀第1四半期が想定される。龍角寺古墳群では、6世紀代に中小の古墳が多数造られているが、7世紀に入ると中心部からやや北に離れた位置に印旛沼北岸最大の前方後円墳である浅間山古墳が築かれた。浅間山古墳とその出土遺物は、大和王権による常総地域の支配に関わり、7世紀における日本列島最大の古墳である岩屋古墳の前代に位置する首長墓であることを示している。

お問い合わせ

所属課室:教育振興部文化財課指定文化財班

電話番号:043-223-4082

ファックス番号:043-221-8126

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