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更新日:令和7(2025)年4月25日

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インタビュー企画「海と人」vol.5 日本アダプティブサーフィン協会 パラ/アダプティブサーファー 高尾 千香子氏

千葉県の海に関わる様々な人を取材し千葉の海の魅力を語っていただきます。
今回は日本アダプティブサーフィン協会のパラ/アダプティブサーファーである、高尾 千香子氏にインタビューを行いました。

高尾氏の写真(海背景)

「枠の中に生きていた自分の“枠”を壊してくれた

 それが、海との出会いでした」

小さなきっかけ ささやかな波

「最初は、友達が『来週サーフィンの教室に行ってみるんだけど、くる?』って言われてうっすら興味があったのでついて行ったんです。今思うと、ほとんど波のない海岸でしたけど」

東京の会社に勤めながら、一宮町に移住し、都会の仕事と、一宮町での豊かな暮らしを両立させている高尾 千香子さん。さらになんとパラサーフィン(障がいのある方のサーフィン)の選手として、世界選手権に出場するアスリートとしても活躍されています。 最初は友人に連れられて、なんとなくサーフィンを始めたそう。

「最初に超初心者向けの波でボードの上に立って、波と一緒に滑っていく感覚を味わえたのがよかったのかもしれません。面白いなと感じたので、そのスクールには引き続き通うことを決めました。そのうち、一緒にやっている友達の方ががっつりハマり出しまして、『今度は千葉の海に行こう!』と言い出したんです」

高尾氏の写真(インタビュー中)

九十九里、特に一宮町の海岸は多くのサーファーにとって「聖地」と呼ばれるほど、サーフィンに適した波に恵まれるスポットですが、当時の高尾さんはそのことも知らず、友人の勢いに押されるままに、千葉の海岸を訪れるようになったといいます。

「当時はそれほど積極的じゃなかったはずなんですけどね、気づいたら移住するくらいこの一宮の環境が好きになってしまっていました。通っているうちにどんどんこの街の魅力に気づいて、だんだんと好きになっていったんですよ」

高尾氏の写真(海背景2)

サーフィンの街 それだけじゃない

「東京から一宮まで定期的に車で通っていたんですけど、たまに電車で来ると、いつも見ていたビーチロードだけじゃない景色があることに気がついたんです。山もあって田んぼもあって。それから、いつもは朝に来て海から上がってすぐ帰っていたのですが、たまたま夕方くらいまでいた日があって。そこで見た夕陽が綺麗で。あれ、この街、いいかもって」

サーフィンを目的に一宮町に訪れるようになったことで、それだけじゃない街の魅力に気づいた高尾さん。コロナ禍で仕事がリモートワーク中心になったことで、思い切って移住を決意したといいます。

「不便はないと言ったら嘘になりますよ。それでも、それ以上に環境がいい。夏になると田んぼが綺麗で、秋になると山が色づいて。高い建物がないから空がよく見えて、四季を感じることができる街の景色が好きですね。それから、生活が豊かになりました。毎日会社に行っていた時はとても自炊なんてできなかったのですが、今は自分でご飯を作って家で食事をするようになりました。近所の農家さんから美味しいお野菜をいただくこともありますし。『ごはんってこんなに美味しいんだ!』って気づくことができたのも、ここでの暮らしを始めてからです」

東京の会社にも週に1、2回は出勤するという高尾さんですが、移動も特に大変だとは思わないといいます。

高尾氏の写真(インタビュー中の写真2)

 

「外房線の上総一ノ宮駅が最寄りですが、座っていればすぐ着いちゃう印象ですね。始発駅で座れるので、苦じゃないですよ。1時間半ぐらいかな。グリーン車に座れば、ちょっと仕事が捗るくらいの時間で。こんなに自然が豊かなのに、こんなに東京に近いんだ!っていつも思っています。サーフィンがきっかけで来た街ですが、それだけじゃない魅力をたくさん実感しています」

海写真

アダプティブに生きること。

パラスポーツのアスリートとして活躍する高尾さん。2023年7月に「日本アダプティブサーフィン協会」を立ち上げるなど、積極的にこの競技の普及に努める背景には、強い想いがあるといいます。

「私自身は、人から誘ってもらってサーフィンを始めて、また人から声をかけてもらって競技サーフィンの大会に参加して、そのうちに国際大会に出るようになって。どちらかというと積極的に始めたほうではありませんでした。ですが、初めて国際大会に出た時に、衝撃を受けたんです。障がいの特性や、それによる日常生活のしやすさや、サーフィンのしやすさは人によっても異なりますよね。大会には、重度の障がいを持ちながらも、私が素人過ぎて恥ずかしくなるくらいに活躍する沢山のアスリートがいらっしゃったんです。

それが、とってもポジティブな空間だったんですよ。例えば、『片足切断』の方は、ボード上の身体の高さを揃えて踏ん張りが効きやすいように、切断していない方の足を入れるえぐれた穴のあるボードを使っていらっしゃいました。

他には、足の麻痺がある方で、フィンボックスの横にまな板を取り付けることで足がボードから落ちないように改造されている方もいました。それぞれの障がいや様々な背景とともに、前向きに自分の人生を豊かに楽しくしようとする空気がそこにはあって、日本でもこれを広めたいと思いました」

高尾氏の写真(後ろ姿)

「アダプティブサーフィン」という呼称は、まさに競技としてのサーフィンだけでなく障がいに合わせてアダプト(英:適応する)してサーフィンを楽しもうという考え方が表されたもの。

「あるアダプティブサーファーの方が、『事故で足は動かなくなったけど、海の中では自由なんだよね』とおっしゃっていたそうです。今、私が着ている日本アダプティブ協会のTシャツにはそのエピソードに着想を得たイラストが描かれているんです。

日本はまだまだ競技環境が整っているとは言えない状況です。ぜひ、一人でも多くの方に、このアダプティブサーフィンの考え方を知っていただきたいです」

思えば、友人に連れられるがまま訪れた一宮の地で、通うほどに街を好きになり、ついには移住を決め、不便さも愛しながら豊かに自分らしく暮らしている高尾さん。その場所、その場所に「適応」する、アダプティブサーフィンの前向きな考え方は高尾さん自身のものの見方とも重なるのかもしれません。

「いろんな方が、できない理由ではなく、できる理由を探して挑戦する、そんなアダプティブサーフィンが好きなんです。そしてここ、一宮の環境も。波がなければ少し場所を変えれば新しい波が見つかる。ここは、そういう場所だと思います」

 

一宮 夕陽の綺麗な街

海と人をのぞいてみると、

来た波に乗り、

潮の流れとともに生きる

自由な風が吹いていました。

 

NEWS! 高尾千香子さん、世界大会で銀メダル獲得!

高尾氏の写真(世界大会時)

アメリカ合衆国カリフォルニア州にある世界有数のサーフスポット「ハンティントンビーチ」にて2024年11月3日から9日に開催されたパラサーフィンの世界大会『ISA World Para Surfing Championship』に日本代表として出場し、クラス『Women Stand1(※1)』にて初の銀メダルを獲得。2021年:4位、2022年:5位、2023年:4位と出場を続け、本大会(2024年)は2位(銀メダル獲得)と一気にランクアップを実現!アダプティブサーフィン(パラサーフィン)の普及を勢いづける嬉しい結果となりました。

※1上肢切断、先天性もしくはそれに相当する障がい、低身長で立った状態で波に乗るサーフアー。

 

Q.海の街のライフスタイルを教えてください!

この辺の方はみんな、庭にBBQセットがありますね。海で知り合った方とか、近所のお友達を呼んで、しょっちゅうBBQしています。農家さんのお野菜も美味しいので、お裾分けでもらったり、買ったりして、楽しくご近所コミュニケーションをとっています。

バーベキュー写真

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所属課室:環境生活部文化振興課文化企画室

電話番号:043-223-3945

ファックス番号:043-224-2851

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