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更新日:令和6(2024)年2月19日

ページ番号:5996

(大多喜町)源頼朝と船子

内容

むかしのことで、ほんとかうそか、よくわかんねけんが、こんな話があっだよ。今の中学校のあたりを、「船子(ふなこ)」と、言うっぺや。あんで、船子(ふなこ)って言うか、知ってっか。

それはな、後(のち)の鎌倉幕府(かまくらばくふ)をつくって、武士の中で一番偉(えら)い、征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)になる源頼朝って言うお武家(ぶけ)さんがなあ。伊豆(いず)の「石橋山(いしばしやま)の戦(たたか)い」って言う、戦(いくさ)で負けて、こん千葉県に逃(に)げてきたんだってよ。

あんで千葉県に逃(に)げてきたかって言うとな。そん頃、今の大原町の布施(ふせ)になあ、上総介広常(かずさのすけひろつね)という、ほんこん家来をもったお武家(ぶけ)さんが住んでいたんだってよ。そっで、頼朝は上総介広常(かずさのすけひろつね)に「助けてくれるように」頼(たの)みに来たんだって。

 

ちょうど大多喜に来たときだ。今の千葉銀行の近くにある「外廻橋(とめぐりばし)」にさしかかった時だってよ。その時はえらい、霧(きり)がかかっていたってよ。

その、霧(きり)の中から

ギイー ギ ギイー

という音が聞こえてきたんだって。不思議に思った頼朝はなあ、馬から降りて、その音のする夷隅(いすみ)川をジーッと見ていたってよ。

すっとなあ、霧(きり)が晴れてきてなあ、夷隅(いすみ)川の上流から下流にかけて舟がいっぺい、下(くだ)っていたってよ。

ギイー ギ ギイー

こんな櫓(ろ)の音させてな。

頼朝はしばらく舟をながめていたってよ。激しかった戦(いくさ)のことや死んで行った仲間のことでも思い出しながら、戦(いくさ)のねえ、こんな風景のような世の中を、夢にでも見ていたんだっぺよ。

 

舟が見えなくなって、やがて

ギイー ギ ギイー

という音が消えても、夷隅(いすみ)川に見とれていたんだってよ。

しばらくすっと、

「ああ、いい気持ちだ。舟子(ふねこ)は、いいなあ」

と、いったってよ。そっで、夢からけえると

「今後、この地を舟子(ふねこ)ともうせ」

と家来たちに、言ったってよ。

こんな話から、いつの間にか、このあたりを『船子(ふなこ)』とよぶようになったってよ。

舟子(ふねこ)とは、舟を漕(こ)ぐ船頭(せんどう)さんのことだってよ。

 

おしまい

出典・問い合わせ先

  • 出典:「広報おおたきNo.417」(「ふるさと民話さんぽ」斉藤弥四郎)
  • 問い合わせ先:大多喜町外部サイトへのリンク

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