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更新日:令和4(2022)年10月24日

ページ番号:2952

第8回障害者差別をなくすための研究会議事概要

1

平成17年6月13日(木曜日)後6時5分から8時

2

県庁本庁舎5階会議室

3席者

  • 野沢座長、佐藤副座長、高梨副座長
    赤堀委員、安藤委員、内山委員、浦辺委員、小林委員、近藤委員、塩野谷委員、清水委員、白川委員、高村委員、田子委員、野老委員、成瀬委員、西村委員、根本委員、堀口委員、宮前委員、森委員、山田委員、横山委員
    (欠席委員:荒委員、加藤委員、金子委員、辻川委員、長島委員、舟田委員)
  • 第三次千葉県障害者計画推進作業部会から:
    植野委員、木村委員、竜円委員
  • 西嶋参与
  • 千葉県政策法務アドバイザー木教授
  • 関係課:
    健康福祉政策課、健康増進課、交通計画課、政策法務課、雇用労働課、企画調整課、住宅課、報道監、NPO活動推進課、健康福祉指導課、道路環境課、みどり推進課
    (教育庁)施設課、特別支援教育課、生涯学習課
    (県警本部)地域課、警務課

4事概要

【これまでの議論の整理】

(野沢座長)
定刻なので始めようかと思う。これからの中間報告に向けて、これまで7回にわたる議論の整理を事務局にまとめてもらった。もちろん、これがそのまま中間報告になるものでないが、各界と意見を交換する際に、先方に提供する資料が必要になるだろうと思うので、内容を検討したい。「ここは少し意図が違うのではないか」というような点があれば修正をいただきたい。
本日は、知事が非常にご多忙な中、研究会にいらして下さったので、皆さんの拍手でお迎えいただきたい。
(一同拍手)
では、知事から一言ごあいさつをどうぞ。

(堂本知事)
駆けつけスピーチをさせていただく。スケジュールを見て一番初めに申し上げたいのはありがとうということ。これまで7回もの議論を重ねていただき、また、700件もの事例が寄せられたが、「こういうことがあるんだ」と当事者が声を上げて教えてくれたこと自体が画期的なことだと思う。行政の中だけで、そういうことをしないで差別をなくしていこうと条例を作っても浮ついたもの、形式的なものになりかねなかったと思う。
やはり一番大事なのは、当事者の方がどういうときに一番差別と感じたかということ。それは、意図的に差別している方は別として、往々にして無意識にしている差別という場合が多い。それだけに、ひとつひとつ「これが差別なんだな」という共通の見方、視点を持ち合うことが大事。さもないと、差別と感じている人の視点と、そういう経験を経ていない人の視点との間ではギャップがある。
しかし今こうして、公募やいろいろな形で研究会に参加して下さっている方と行政のスタッフが、真剣に議論して、また議論するだけでなく様々な活動を展開して下さってきている。こうしたプロセスが大事だと思うが、果たして、いままで日本の中でこういうプロセスをへることができただろうか。
障害者地域生活づくり宣言の中で障害者差別をなくしていこうと謳ったとき、いろいろなことを教えてもらった。福祉のまちづくり条例、第三次千葉県障害者計画と様々な段階を踏んで、様々なことが浮き出て、あぶり出されてきた。タウンミーティングの中でも確認されていった。そのような過程を経る中で、このような試みの土壌が醸成されてきたのだろうと思う。いきなりできるものではない。私たち一人一人も意識改革できないし、障害者自身も自己認識をしないで悲劇の王様になっていたかもしれない。どういうことが必要なのか、それを県民みんなに広めていくのがいかに大事なことか、当事者の方も学んだのではないだろうか。条例そのものよりも、プロセス自体が重要である。障害者の方が先頭に立って下さってこうしたことをしてきている。
いじめに遭っている子どもたちや、よそから移り住んできた人、日本語の不自由な外国人、そのほかにもあらゆる差別、こちらが思いつかないような差別がある。そんな差別が可能な限り少なくなった地域社会は、誰にとっても住み心地のいい地域となる。どんな人も、自分はこうしてほしいんだということをのびのびと発言できるという地域であることが大事である。そこに住む人がそれを理解して、お節介ではなく、ごくごく自然に地域社会を作っていけることが大事。
これからヒアリングの段階にはいると課長から聞いたが、これまでの議論を尽くしてくれてありがとう、そしてこれからもよろしくお願いしたい。ここにお集まりの皆さまの議論は、600万千葉県民だけではなく、オールジャパンのための取組みでもある。日本は諸外国と比べて遅れてきたが、千葉でできるのであれば、全国のいろいろなところ、それぞれの地域で同じような動きがあれば、お互いにフィードバックして、共振すること、共感することで、ネットワークを結んでひろがっていける。私自身は毎回出席したいけれどもなかなか参加できないが、今日は本当にありがとう。
(一同拍手)

(野沢座長)
どうもありがとうございます。皆さん全員を紹介したいが時間がない障害当事者の方もいる。障害者関係だけでなく企業などの方も何人もいる。また、西嶋参与、鈴木先生も毎回ご出席いただいている。それから県庁の各課の方々も毎回来て下さっている。今日も事務局から紹介をお願いしたい。

(事務局:小森)
〔本日の出席課と資料の確認〕

(横山委員)
タウンミーティングのお知らせがあったが、電話番号しか載っていない。FAX番号等、電話以外の連絡法も載せる配慮が必要。また、議事概要の最終稿だが、直ってないところがあるので再修正をお願いしたい。

(事務局:小森)
修正については、次回までにご依頼をいただきたい。
議論の整理(資料2)は、各論点ごとにまとめさせていただいた(以下項目の確認)。

(野沢座長)
いろいろ意見のあった中から事務局に拾い上げていただいた。これがそのまま中間報告や条文になるわけではないが、意義など骨組みになるところである。
では、まず総論の「1,障害者差別をなくすための取組みの意義は何か」について何かご意見は。「自分はこういうことを言ったのに反映されてない」というようなことでもよいが、何かご意見はないだろうか。
内山さんの「ベビーカーを押しているときにしっくりこない気持ちがあった」というお話は詳しくはどういう例だっただろうか。

(内山委員)
何ヶ月か前の話題になるので少しどんな話だったか考えさせてもらうが、私がマイノリティーになったという実感ある体験だったということ。車いすの方が、自転車が置いてあって通れないということが、初めてベビーカーを押すことでわかったし、駅の階段も、子どもと荷物を「よいしょ」と持ち上げて登らなくてはならない社会だということがわかったし。ラッシュの時も「おじゃましては悪いかな」と電車に乗ることができない。障害ではないが、少数派となったことで、居づらい、しっくりこない、私が差別されているような感覚を持った。ベビーカーであれば、「ちょっとの間だから我慢しなさい」と常識に蓋をされてしまうが、このような状況、差別ということが障害を受けたがために長い間続いているということであれば、当事者の方はどう感じているのだろうかと思った。差別ということは障害に限ったことでも、日常から離れたことでもなく、女性問題、同和問題など、身近にあることだと感じた。

(堂本知事)
私も内山さんの話から思い出したことがある。かつて、足の指を骨折し歩けなくなったことがあり、仕事で行かなければいけなかったので、イタリアまで車いすで行った。現在は、成田はそうなってないが、かつては車いすに乗っていると、搭乗券を見せて入場すると、すごい騒音のするところを通って、みんな誰もが凝視する中、もっと普通にそっと搭乗したいのに、搭乗しなければならなかった。
パリに着いたら、バスが待機していて、車いすの人が4人載っていた。英語で「どんなバカンスを過ごすか」とおしゃべりしながら車いすに乗っていたが、日常生活の中で自然なものとして受け入れられている。その差の激しさ。車いすに乗っている人の身になるかならないかで全く違う。
帰国して成田に着くと、またすごい騒音とみんなの視線。そして、東京駅では新幹線で車いすに載るときにゴミなどを運ぶようなバックヤードを通る。何日か前に予約をしておかなければいけないし、エレベータに鍵がかかっていた。これはすごい差別だと私はそのとき思った。思い立ったときに自由に旅ができない。
ヨーロッパを褒める気はさらさら無いが、リラックスして、自然に行動できるようになる。みんなマラソンするのに乳母車で出ているカップル、車いすで出ているカップルもいた。ちょっとした段差があれば、わざとらしくなくさっと手伝ってさっと離れる自然さがある。しかし、日本では屈強な男が横をどんどん通っていても誰も手伝わない。
とてもいい言葉だと思うが、「県民文化」ということ、障害のある人もない人も当たり前にいる、ということが最終的な目的ではないかと思う。ユニバーサルデザインと大げさに言わなくとも、人の心がユニバーサルでバリアがなければ県民文化が創造できるようになるだろう。
私はそろそろ行かなければならない時間なので、先に発言させてもらったが、皆さんの活発な意見も伺いたい。本日はどうもありがとうございました。
(拍手、知事退場)

(野沢座長)
知事は予定時間を過ぎてもいて下さっていたようで、秘書の方も心配して何回もメモを入れていたが、それだけ力を入れて下さっているということ。「県民文化」ということで取り上げられた高村さんから補足などはどうか。

(高村委員)
知事に取り上げていただいてとてもうれしいが、私がこれを言ったのは、障害のある子が生まれて地域の中で生きていくときに、「幼稚園に入れません」「小学校は難しいです」「中学校は別のところへ」「高校は試験に受からなければ」「大学も」という状態。みんなの中に一人の子が一人の人間として当たり前にいることができていない。
例えば高校に入るときに、目の見えない人にこれが見えれば入っていいよ、耳の聞こえない人に聞こえたら入っていいよ、と言うのはとてもむごいこと。知的障害のある子にこのテストができたら入っていいよ、というのはとてもむごいこと。そういうことが、千葉県だけでなく、日本中で行われている。
一人の子として、小中高大学と、そして地域の中で一人の子としてみんなの中で当たり前に存在している県民文化を差別禁止の条例でできるのかなと思った。

(野沢座長)
前回、私の不手際で2時間のところを3時間になってしまったので、今回は時間を厳守できるようにしたい。
内山さんの話は、障害当事者の方からすれば、「障害者差別というものはそんなものじゃない」と思う方もいるだろうが、内山さんの言ったようなこと、自分自身の体験ということは、誰でもありうること。むしろ、そういう話でないと県民全体に広がっていかないので、後で議論を深めていきたい。
では次の「2,差別をなくすための取組みの方向性」について。

(事務局)
(「2,差別をなくすための取組みの方向性」の説明)

(野沢座長)
もっとこれを付け足してほしいというような意見は。なければここは総論部分でもあり、まだ論点がたくさんあるので次に移りたい。差別の定義について事務局から説明を。

(事務局:小森)
(「3,「差別とは何か」(差別の定義)」の説明)

(野沢座長)
ここは初めから終わりまで議論が続くかと思うが、皆さんの意見はどうだろうか。

(森委員)
「差別とは何か」という定義の骨のところで、事務局は枝骨を4つの論点に分けてくれているのだろうが、差別と福祉サービスの関係という分け方は少し違うのではないか。意識改革と制度改革ということころで、具体的施策にも関わってくるので、定義の区分けの中に入れるのは無理があり厳しいのでは。制度としてどのように見ていくのか、具体的な中身を議論するときに出てくるものではないか。

(成瀬委員)
では続いて尻馬に乗らせていただく。僕が、なぜそう思うかというと、今までの議論の中で、行政なり周りがきちんと対応しなければならないのにやっていないものを、福祉サービスとしていたものがある。それは、本来は恩恵的なものではない。我々障害者としては希望するのではなく、当然の参加する権利を希望する。これははっきり分けて行かなければならない。そう思いながら、森さんの話を聞いた。
尻馬といえば、障害者になってから初めて電車に乗った。車いすに乗っていると洗濯機に乗っているようだ。捕まるところもなく、荷物にも押される。
東京駅で新幹線に乗り換えるとき、駅員に何を言われたか。荷物用のエレベータがあるのでそれに乗れということだった。荷物扱いということがあるのかと思った。
ついでだが、最近、補助犬を飼い始めた。飼い始めたと言うのが適切か分からないが、仲間、パートナーである。補助犬は視野を非常に新しくした。世界が変わった。他の障害を持った若い人たちの生活も変わっていくのでは。時間がないだろうからマイクをお返しする。

(山田委員)
合理的配慮のためには予算の確保は切り離せない。本当にそうだと思う。合理的配慮欠如をなくすために、合理的配慮をしていくんだと。この条例をどういうふうに提起していくのかにもよるが、罰則だとか、こうしなければいけない、ということを強調するのもどうかという意見もあり、私もそう思う。
しかし、「合理的配慮を作っていこうよ、そのためにお金を使っていこうよ」と、そういう風に皆さんを動かしていける条例にしたい。

(障害者計画推進作業部会植野委員)
私の名前が入っているので申し上げるが、私が申し上げたいことは予算の確保だけでなく、予算の柔軟な運用をお願いしたいということ。あっても項目が違うから流用できない、ということがよくある。

(野沢座長)
私も個人的に思うことだが、あえて、ここで福祉サービスを差別の定義や類型などと同列に並べる必要はないかな、と思う。予算の話と定義の話を混同してしまう。
スウェーデンでさえ、とても高福祉の国だが虐待が非常に多くて、1997年頃に高齢者や障害者の虐待禁止法が制定されたという。やはり、福祉が充実していても、虐待や差別は、リンクしているところもあるし、違う位相で考えなければいけないところもあると思う。これらの意見を意見交換の資料に反映していただきたい。
次に、「4,どうして差別は生まれたか」について。これだけでも1晩、2晩は議論できてしまいそうだが。

(事務局:小森)
(「4,どうして差別は生まれたか」の説明)

(野沢座長)
この論点は「5,どうしたら差別はなくせるのか」と裏表一体と思うので続けて説明願いたい。

(事務局:小森)
(「5,どうしたら差別はなくせるのか」の説明)

(横山委員)
どうして差別が生まれたか、について。良い意味で障害者が図々しくなればよいと思う。福祉サービスを受けていることを申し訳ないと思う人もいるようだが、それは他にできることで地域に恩返ししていけばよいと思う。例えば、他県の障害者では生活保護を受けたり年金を受けたりしながら、どぶ掃除を買って出たり、骨髄バンクのボランティアをしたりしている。それが障害者を知る機会を増やすことにもつながる。私は手話に関わる中で聴覚障害者の方から「図々しくなれ。」と言われてきた。それが私にとってプラスになっている。
また、罰則について、障害者に対する強制不妊手術など、取り返しのつかないことには罰則が必要なのではないかと思う。

(野沢座長)
他に何か意見のある方は。

(塩野谷委員)
どうして差別が生まれるのか、ということについて、やや内容が曖昧。例えば、鶏と玉子のどちらが先か、を示す必要があるかと思う。

(野沢座長)
どのような趣旨かもう少し具体的に伺いたい。

(塩野谷委員)
説明が難しい。差別の偏見性というか、「差別をしているつもりはないのに差別している」といわれる、その原因は何か。それがはっきりしていない。
また、日本の文化というものについても考えられる。以前送った私が送ったメーリングリストの内容にも書いてあるとおり。

(障害者計画推進作業部会植野委員)
塩野谷委員の意見に補足する。我々はあくまで当事者であり、差別の受け手である。差別している側が、「意図していないのに結果的に差別になってしまった」ということについて分析が足りない部分があり、やや浅薄な印象がある。先方のどういう事情があって差別をしてしまっているのか、という実情について、差別をする側の無意識や、逆の立場から見たときの視点が必要。

(野沢座長)
私が思うことも同じだと思う。条例には直接入らないが、あらゆるものの出発点。700件というのは差別を受けた側の出発点。本当は、差別をしたと言われた人に話を聞いて、悪気がないのになぜこういうことになったのかという話も同じくらい時間を掛けて聞きたい。しかしそれは非常に労力と時間がかかる。
また、罰則については自分と植野さんが対立しているように読めるが、自分も決してそうではなくて、本当にひどい事例には罰則がほしい。しかし、まず罰則か作りにくいこと、そして、罰則を適用するために厳密さが必要とされれば、逆に適用される範囲が狭くなってしまう。
自分も初めから「罰則はなし」という意見ではない。しかし、鈴木先生、佐藤さんの話のようにハードルが高い。けれども、他にもいろいろなことができるのではないかなと思う。

(障害者計画推進作業部会植野委員)
私としては、罰則を付けてほしいといっているわけではない。タバコポイ捨て条例の例を出したのは「こちらの地域では罰則がある、あちらの地域ではない」という説明の根拠が必要なだけである。

(山田委員)
罰則のところだが、罰則でなくとも、5ページにあるように、実質的救済をどうするか、その悲しい状況をどう解決して変えていくか、というところの力になる条例にできるのか。実質的救済が重要。

(野沢座長)
もっと柔軟に、したたかに考えればいいと思う。罰則を盛り込むのは大変だが、障害者を拒否したお店があれば、情報公開したりと、お客や利用者が選択しなくなるような仕組みが組み込めれば良いと思う。そのあたりの技術的なことは鈴木先生に伺ったりすれば、ほかにも方法があるのではないか。

(山田委員)
今日も福祉的就労の場における事例でそんな相談を受けたばかり。どうやったらこれを回復できるのか。野沢さんのやりかたはかなり遠回りだが、助けてほしい、救済してほしい、という現に苦しんでいる人をどうやって救えばいいのか。

(野沢座長)
では各論に移りたいと思う。分析した順に従い教育分野の論点から。

(事務局)
(教育分野の説明)

(野沢座長)
これについてはいかがか。
制度の問題と意識の問題と、教育に関しては色分けがはっきりしているが、何かご意見のある方は。
分析を担当された高村さんと白川さんから「これが抜けている」とか「こんな言い方はしていない」というようなことがあればその点についてもご意見を。

(高村委員)
教育は本当に制度に関わるところが大きい。皆さんの意見を伺いながら議論したい。

(森委員)
以前にも場面が違うところで発言したと思うが、障害児・者教育に関して働きかけてきたことの検証が必要。検証作業が解消方策になっていくのではないか。いろいろなところで働きかけてきた内容が現在どうなったか、施策に反映されているのか、あるいはいないのかの検証作業。今までの取組みをきちんと注視していこうという姿勢を持つ必要がある。

(山田委員)
2月にあった市川でのタウンミーティングで、東弁護士が挙げた事例で、教育について重度の障害がある児童に対して「普通学校は無理」という不利益取扱ということと、それに加えて「普通学級に通うならば介助はお母さんがしないと困る」という合理的配慮欠如。これを聞いたとき涙が出そうになった。これが差別と認められることが、私たちがずっと希望してきたこと。ようやく、この配慮欠如が差別として意識される社会になってきたのだと思った。
現場はそうなっていない。しかし、今の制度でもできることはある。当たり前にみんなの中にいる権利は誰にでもある。その希望を表明したときにはできるようにする。その時に合理的配慮をするということ。障害のある子を地域の中で支える合理的配慮が必要。これを実現できればと思う。

(西村委員)
加えて、知的障害者の作業所で話を聞いたのだが、養護学校で教育を受けている子どもたちについて。教育現場で、卒業したら働くとか、労働に見合った賃金をもらう権利があるとか、そういったことに重きを置きすぎて日常生活への教育がなされていない。例えば、生理のときの対処の仕方や、横断歩道の渡り方、ご飯の食べ方など、家庭でそういう教育ができている家庭はよいが、できていなかったりする家庭もある。作業所に出始めて一から教える状況がかなりある。
教育の内容についてもきちんと検証する必要がある。身の回りのことができないために差別されてしまう、そういう議論があまりされていない。

(野沢座長)
これは特殊教育の世界では延々とある長年の議論。

(白川委員)
今の現状を見た場合に、「統合教育を原則とし」と、ボンと打ち出したが、今は少し表現の仕方を考えている。これを原則としてしまうと、逆に現在養護学校などを選択している人は不安に思うのではないか。
もっと大事なことは、選択権を保障することで、その方がより現実的な表現の仕方かと思う。

(野沢座長)
これも議論するととても深い。教育問題に限らないが、他の問題もそうだが、この場での議論のみで学校教育法を変えたり、教育を全て変えることは不可能。ただ、理想に近づくために一歩でも有効なことをどう盛り込むか、そのために条例で何を規定できるかが重要だと思う。
では、次の労働分野へ。

(事務局:小森)
(労働分野の説明)

(野沢座長)
皆さんはご存知だと思うが、市川さんの発言も、ここだけを見るとものすごいことを言っているが、議事の前後を読めば、彼も障害児の娘がいるお父さんとして、会社を経営している者として発言していることをご理解いただきたいと思う。
労働に関して何かご意見は。ここもかなり議論があろうかと思う。

(浦辺委員)
障害者の人たちがどのように働いているのか、雇用主の人も分かってないのでは。グループホームでどのような就労ができるのかということについて、例えば、クリーニングなどは単純作業が非常に多い。そういう部分で、何の仕事ができるか、ということに目を向けて、こういう人たちをこう扱うことで利益が確保できる、ということをPRする必要があるのでは。

(野沢座長)
意見交換でこの資料(議論の整理)を見せたとき、経営者の方に「ついていけない」と思われてしまうのでは。経営する側からみて率直な意見は。野老さんはいかがか。

(野老委員)
本音で言うと、「違うよ、そうじゃないよ」と思うところがある。自分は「差別する側ではない」と一生懸命やってきたけれども、「もう嫌だ」という感覚、「経営者側」というのか、「健常者側」というのか、うまく伝えられない感覚があるのが正直なところである。
たしかに、今までのように、巡り会う機会がないので、機会があれば「これができる?」と言うことはできるだろうけれども、それが差別だと言われるとしたら、それは嫌だと思う。
本当に申し訳ないが、けんかから始まる理解もあるのではないか。差別か否かではなく、その後どうするのか。子供のけんかのように、そのやりとりの中でお互いに理解が生まれていくとすると、入り口のところで、何かをかぶせるように言われるのであれば、良い経営者はすくんでしまうのではないかと思った。

(西嶋参与)
野老さんから良い経営者が嫌がるのではないかという意見があったが、障害者の労働というと、「雇わない企業が悪い」という議論になりがちなので気を付けなくてはならない。このような議論になると、障害者の就労問題がよく分かってない企業は雇用に二の足を踏んでしまう。
「就労」と一つにまとめるからいけないのであって、企業雇用と福祉的就労、また、福祉的の中でも日中活動の場としての位置づけなど、様々な労働の場があってよい。「こんな障害が重い人も雇わなければいけないの?」という懸念を企業に持たせないためにも、それぞれの障害の状況にあわせた選択があり、又、それぞれの場で合理的配慮が必要となる。そのような仕分けをする中で、企業も、障害のある方も選択できればいい。そこをごっちゃにしているので、躊躇する企業が多い。

(野沢座長)
貴重な意見をいただいた。せっかく良心的な企業まで遠ざけたままではもったいない。どうすれば近づいていけるか。どういうコンセプトで労働を固めていけば良いのか。ここは勝負所と思う。根本さんからも経営者として率直な感想をいただきたい。

(根本委員)
そのとおりだと思う。パーフェクトを求めてもいけない。理解してくれるオーナーをたくさん集めればよい。そうしないと、理解しない企業が嫌々受け入れてもお互いに不幸になるだけだと思う。
私も常々言っているが、企業側も「我が社も障害のある人を雇っている」ということを堂々とPRできるように、差別化を図っていければいい。大型店会などでも呼びかけて有志を集めようとしている。だから、「協力してくれるところは協力してほしい」と素直に書けば良いと思う。野老さんの意見と同じように、不平不満だけ言っていても前に進まないということ。外に出てみんなで声を出していこうということ。
教育分野でもあった話だが、小中学生のあたりから、差別、障害ということについて教育・宣伝活動をしていかなければならない。ほとんどの人が差別、障害ということについて知らない状態。教育の話で、「子どもが手を出したらそれが関わりたいという友だちの印だ」というような例の話を大人の世界でも具体的にしていければ良いと思う。

(障害者計画推進作業部会植野委員)
労働には微妙な問題も多いが、「機会の平等」という視点での配慮をお願いしたい。差別というのは結果を恐れての平等への配慮があるのではないかと思う。例えば、浦辺さんに伺いたいが、聴覚障害者をホテルのフロントで接客に雇用することはできるかというと、できるというその勇気が必要だと思う。コジマ電気では聴覚障害者を雇用している。コミュニケーションは全て筆談にしている。それは店長の英断である。
だから、「雇う、雇わない」ということよりどこまでできるのか、という機会の平等ということを重視したい。雇った結果がそぐわなければ仕方ないので、ある程度納得もできる。機会の平等を重視してほしい。

(野沢座長)
会社だけに負担を求めてもいけない。会社の先にいるお客さんの意識も変えるのも条例の射程にしていければ良いと思う。コジマ電気の例でも、「お客さんから苦情が出ないか」というような不利益な点なども様々に考えた結果雇った決断だと思う。そういう企業を逆に我々で応援して、こういうことがPRになって、みんなで応援して、お客が増えるような仕組みができていけばよいと思う。

(近藤委員)
アメリカでは障害者のインターンシップ制度がある。障害者も一般の企業を見る機会がある。日本でも就職活動をしている大学生などに関しては制度があるが、日本の障害者にもあればいいなと思う。

(野沢座長)
では、次に移るが、時間がないので医療と福祉分野は一緒に議論したい。

(事務局:小森)
(医療分野、福祉分野の説明)

(野沢座長)
何かご意見のある方は。

(西村委員)
医療分野についてだが、精神障害者の差別をなくすためのタウンミーティングの開催にあたり、いろいろな人と話をする機会があった。そこであった話として、入院者の処遇について触れねばならない。社会的入院そのものも差別で、隔離室での拘束も放置できないが、精神科医療という独特のもので差別とだけ言えるのか、もっと根が深いものがあるのではないかと思う。
また、応募のあった事例のうち精神障害者の事例は700例の事例のうち30例くらいしかなかった。なぜ声が上がらないのか。あまりにつらい体験なので、声を上げて誰かに伝えることでさらに傷を深めてしまうので言えない方も多いのではないかという意見をいただいた。

(野沢座長)
県内各地でそうしたタウンミーティングを何度も何度もしていければいいと思う。では、次のサービス提供以下の分野についてまとめて説明をお願いしたい。

(事務局:小森)
(サービス提供以下の分野の説明)

(野沢座長)
多くの分野が盛りだくさんだが、これらの分野についてご意見をどうぞ。

(森委員)
サービス提供について分析を担当させていただいたが、合理的配慮という言葉に関して、「サービスとは何なのか」という命題が全てのいろいろな事例に関わってくる。私たちの人と人との関係、人と組織の関係の中で、「サービスとは何なのか」ということを常に問いかけて見つめていくことが重要である。あらゆる分野において、合理的配慮を充実させていくことが、「サービスとは何なのか」が大きなテーマになってくるのではないか。

(成瀬委員)
関連するが、「サービス」という日本語には、「無料」という誤解がある。聴覚障害者の使うデコーダを内臓したテレビというものがあるが、アメリカでADA(障害者差別禁止法)ができたときから、全てのTVはデコーダ内臓でなければいけないということになっている。これはサービスとして無料で付けてあげる、ということではなく、当たり前に、本質的に全てのテレビは聴覚障害者が利用できるようになっていなければならないということ。日本ではサービスという言葉の熟成度がまだ低い。デコーダを別に買ってこなければいけない。そういう意味で、サービスという言葉の本質を考え直さなければいけないのではないか。

(高梨副座長)
私も冒頭に尻馬に乗ろうとしてやめたが、発言させていただく。話の経緯を伺っていて感じるのは、日本で障害者問題を考えるとき、「不利益取扱は差別」というのは分かっているが、「合理的配慮は第一義的には障害者の責任」だという一般的な認識があり、それを制度・施策でカバーするという仕組みになっていたのではないか。予算の関係で、今できる、できないは別として、これからは「合理的配慮は原則として義務なんだ」というところに、市民のコンセンサスが高まらなければいけないのでは。そうしなければ機会均等にならない。「合理的配慮は我々の目指すところなんだ」という共通のコンセンサスを作るためにはどうすればよいのかを考えなければならない。
企業に対して、お金のかかることをしろ、ということを義務づけられるかどうかはまた別問題で、必ずしもお金のかからない方法もある。一つの目標があれば、それが責務になってだんだんと変わっていく。
企業の方の話を聞いていると、残念な印象が少しある。どうしても、「雇ってあげる」「雇うのが義務だから雇う」かのような印象を受ける。ウエスタンミシガン大学で就労支援を熱心に研究しているが、障害者のもつノウハウをいかに企業の戦略として積極的に活用するかということをテーマとした研究がある。障害者も「雇ってもらっている」という状態では遠慮してしまうので、そのように認識が変わっていくこと必要なのではないか。

(鈴木教授)
法律的観点から申し上げたいが、不合理な取扱いは差別とするのは簡単だが、合理的配慮を積極的にどう定義していくかはとても難しい。いろいろな状況を考えて、「これは配慮すべき」という判断は出てくると思うが、「合理的配慮義務はこうあるべき」という一つのパターン化したものが出てくるのか、というとそこはとても難しいことだと思う。ケースバイケースで判断せざるを得ず、「このケースをこう扱うのは不合理ではないか」という判断になってくるのではないか。
逆に言えば、「不合理な取扱は差別」と定義するのはしやすいが、積極的に「合理的配慮の欠如は差別」とするのは難しい。

(高梨副座長)
鈴木先生のお話を前回から伺っていて思うところだが、日本の国情から見て、今すぐどうする、というのは難しいとは思う。ただ、具体的な個別のケースが合理的配慮欠如に該当するかどうかは別として、「合理的配慮」という概念そのものが「当然必要なんだ」という国民の共通認識は必要だろうと思う。それに向けての県民の啓発に向けての作業と、そして、場面ごとにどう調停・救済するか、その両方があって進むものではないかと考える。

(佐藤副座長)
関連して、私は是非、合理的配慮については盛り込みたいと思う。鈴木先生が難しいとおっしゃるのは分かるが、それは技術的に難しいということであって、理念的なものを入れることはできるだろうし、法的なものを入れられればもっとよい。なぜかというと、サービスの話にも関わるが、「ケアの精神が欠ける」ということがいろんなところで出てくる。そこから起きる問題は、基本的に具体的な規定でどうこうできないものが多い。しかし何らかの規定を置かざるを得ないから、抽象的でもよいのでとりあえず規定し、それを受けてそれを代弁していく人たちを養成したり救済機関を設置していく。そのような形で、合理的配慮を条例に盛り込んでいってほしいと思う。

(成瀬委員)
合理的配慮の内容について、テレビへのデコーダの内蔵はその一つ。全市役所に要約筆記者を設置すべきという提案があったが、長野大学で、先生の講義をマイクで拾ったものをそのまま要約筆記できる、という技術を新しく開発し、それに学生サポーターを作って要約筆記のエラーを直すシステムを作ったという報道がNHKであった。そういうものが解決されれば、両方とも合理的配慮が解決しやすくなるのではないかと思う。

(野沢座長)
時間もないので、本日の議論はこのあたりで終わりとしたい。結論をまとめあげるためというよりも、関係団体の意見交換を控えており、情報提供の資料とするため。また、ミニタウンミーティングについても、これまでの議論をたたき台にして、いろいろな意見を集められれば良いと思う。
事務局から、各界との意見交換について説明願いたい。

(事務局:小森)
資料4をご覧いただきたい。本日の議論を踏まえて、議論の整理を事務局で行わせていただいて、正式な中間報告ではなく、また、次回の意見交換23日まで日もないので、座長の了解を経て各団体に議論の整理を送付させていただきたい。後ほど修正版を送付する。
また、ミニタウンミーティングの開催働きかけの案内文書も送らせていただいた。

(西村委員)
各界のヒアリングと平行でもよいが、今回の事例募集は当事者の方から集まったものが中心である。先ほど養護学校の特殊教育について、私がよく知らずに質問した論点を、野沢さんから自明のことと言われたが、その業界では当たり前になっている差別などの問題だが、関わっていない人には全く分からない問題もある。700件の事例だけでは分からないことを、背景なども含めてそれを簡単にでも解説してもらえると全体像がわかりやすいのではないか。

(竹林課長)
現在、各団体に意見交換へ参加を依頼しているところである。「障害者差別の問題について検討しているのでいらしていただけませんか」と依頼に行くと、「差別しているわけではない」と一瞬身構えられてしまったりもしたが、要は、理解を広めて暮らしやすい千葉県にしていこうという試みなので、思ったよりも感触は良い。せめて材料として議論の整理をさしあげなければならないと思う。
ところで、議論の整理の右上の発言者の名前のところは落とした方が良いかと思うので、落とさせてもらう。
また、ミニタウンミーティングをあちこちで数多く開いてほしい。少しでも障害者差別について考える機会を増やすことが必要。今日も連合の方と話したが、新しくイベントを立ち上げるだけではなく職場の研修や地域の催しなどでテーマに入れてもらうような形でも機会を増やすことができればよいのではないか。委員の方々にもご検討いただきたい。県庁各課にも関係団体の各種研修などの情報提供をよろしくお願いしたい。

(野沢座長)
最初は意見交換に来てくれる団体の方が少ないのではないかと思ったが、半分以上来てくれそうで心強く思う。
二つ提案がある。まず、差別する側はなぜ差別してしまうのだろう、という事例や、逆に、良かった事例についてメーリングリストで出し合ってはどうか。先ほどのコジマ電気の話のように、どんなささいなことでもよい。どうすれば差別がなくなるかのヒントになると思う。
我が家の次男は小学校4年生。この前、同級生何人かに「おまえの兄ちゃん養護学校だろ。養護学校で勉強しなくて一体何してんだ。」というようなことを言われたらしい。弟は言葉につまったが、「コンクリート作ったり椎茸作ったりしてる」と答えたら、「すげえ!」と言われたとか。そういうところにヒントがあると思う。関係団体に、差別事例だけではなく、こんな良い事例も持っていきたい。県民文化を創るための呼びかけということ。
今日はほんの少しだけ時間が過ぎてしまったがこれにて終わりとしたい。ありがとうございました。

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