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更新日:令和6(2024)年12月16日

ページ番号:718947

一人の人間(令和6年度心の輪を広げる体験作文入賞作品)

一人の人間

高校生区分

千葉県身体障害者福祉協会理事長賞

筑波大学附属聴覚特別支援学校高等部1年
柳 敦心(やなぎ あつみ)

 

 

 私は聴覚障害者です。聴覚障害者には、「聾(ろう)者」という別の呼び方があります。その聾者の世界で数少ないデフファミリーのもとで生まれました。デフファミリーとは、家族全員が聾者であることです。

 生まれた頃からずっと私が聾者であることに恨んではいません。なぜなら、全員が手話で会話が出来ていたので、家族の間にコミュニケーションの壁がなかったからです。

 小さい頃に健常者から、「障害は個性だね。」と、よく言われることがありました。私はこの言葉に幼いながら違和感を持っていました。障害は個性でしょうか。障害は個性ではないと私は思います。その理由を述べたいと思います。 

 個性とは、他の人と違った、その人の性質・性格のことを指します。そして、障害者は世界人口の十五パーセント(十憶人)います。障害の程度や特質は一人一人違うから、それは個性だと言う人がいます。その通りかもしれませんが、健常者が私たち障害者に対して使う個性は、「可哀想に」という意味が含まれているように感じます。

 また、生まれつき障害がある人に対して、生まれたときから障害は個性だと押し付けるのも綺麗事だと私は思います。もしも、障害が個性なら運動神経が悪いのも料理が出来ないのも個性だね、と皮肉に聞こえるように感じます。そして、私のような生まれた時から障害がある人は、障害があるのが当たり前のように感じています。それに対して、「障害は個性」という言葉だけで決めつけるのはおかしいと思います。生まれた時から私たちは健常者と同じ無個性であり、生きていくうちに自分なりの個性が形成される。それが本来の個性だと私は思います。

 しかし、社会では障害を個性として捉え、それがプラス思考だと思い込む人がいます。その結果、障害があることを「仕方がない」として深く考えず、例えば職場で簡単な仕事しか与えないことがあります。本当は障害者にも様々な能力があり、多くの仕事が出来るにもかかわらず、偏見から出来ないと決めつける人もいます。

 その壁を取り除くために、私の通う聾学校(聴覚特別支援学校)のあるイベントに参加しました。そのイベントは盲者(視覚障害者)、聾者、知的障害者、健常者が参加するイベントでした。そのイベントでは、障害者のレッテルが貼られる社会とは違い、生き生きと自分のできる範囲の仕事ができるものでした。そのイベントに参加する時に一番心配だったことは、盲者との会話でした。なぜなら、私たち聾者は目で情報を得て、盲者は耳で情報を得るので、コミュニケーションがとれないからです。しかし、その心配はいりませんでした。パソコンで音声の読み上げをして情報を伝え、文字起こしで情報を伝えてもらうなどの工夫をしました。そして、そのイベントは様々な障害がある人が集まるので、お互いの障害を知ることができました。そのイベントを通して、気づいたことがあります。それは、周囲に対して、自分の障害について説明する力が必要だということです。丁寧に説明できたからこそ、自分に合った役割を与えられ、自分の力を最大限に発揮することができました。そして、この社会で障害に対する偏見が存在する理由の一つも知ることができました。それは、私たち障害者が障害について丁寧に説明していないからではないかと感じました。知ってもらうのを待つのではなく、自ら積極的にアピールしていかなければならないと考えました。今後、この経験を活かして、障壁を取り除いていきたいと思いました。

 このように、障害者に対して偏見を持ち、出来ないと決めつける人もいますが、障害者のことをきちんと理解してくれる人もいます。それは、私たち障害者の先輩たちが障害について積極的にアピールしてくれたおかげです。そこで終わるのではなく、私たちも未来の人たちのために、障害についてより多くの人にアピールしていかなければならないと感じました。そして、健常者の方々には、私たちを一人の人間として見ていただきたいと思います。助けがいらないというわけではありませんが、「そういう人間なんだ」と理解していただきたいと考えています。

 

お問い合わせ

所属課室:健康福祉部障害者福祉推進課共生社会推進室

電話番号:043-223-2338

ファックス番号:043-221-3977

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