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更新日:令和6(2024)年12月16日
ページ番号:718949
一般区分
千葉県身体障害者福祉協会理事長賞
梶田 咲季(かじた さき)
私は視覚障害と発達障害と精神障害があります。
視覚障害では視野狭窄のため、目を動かさないと目の前にいる人であっても相手の鼻しか見ることができません。
発達障害では自閉スペクトラム症のため臨機応変な対応が苦手だったり、感覚過敏もあり特に聴覚過敏が強いのでイヤーマフを付けて生活していることもあります。
また環境の変化にも弱く、学生の頃はクラス替えをして新しいクラスに慣れるまでとても時間がかかりました。
精神障害では双極性障害があるので気分の浮き沈みが激しく、うつ状態の時は動けず、躁状態の時は逆に動きすぎてしまったり、買い物をたくさんしてしまったり、大変です。
双極性障害を発症して12年経ちます。
6年前までは通院しているクリニックのデイケアでSSTなどコミュニケーションの練習や小物作り、料理、卓球などのプログラムに参加していました。
その後、約1年半、就労継続支援B型の事業所に通所して、私はチラシ折りなどの軽作業の仕事をしていましたが、皆それぞれ自分の障害の特性に合わせて仕事をしていました。私が通所していた事業所は、お昼休み以外は休み時間が決められていなかったため、自分で疲れたら休むといった形で休み時間を作らなければいけなかったのですが、それができず、職員さんにも相談できなかったため燃え尽きて退所せざるを得なくなりました。
そして、再度デイケアと地域活動支援センターに通所する生活になりました。
コロナ禍に入って体調を崩してしまい、地域活動支援センター、クリニックのデイケア、ともに一回目の緊急事態宣言中は閉所となり行き場を失ってしまい家にこもる生活が続くにつれ、心身のバランスが崩れてしまい不穏になることも増えてしまい、とうとう精神科の病院の開放病棟に3か月間、入院となってしまいました。
入院中、最初の頃はホームシックになってしまい、夜になると泣きながら、ナースステーションに行って看護師さんにたくさん話を聴いてもらいました。
主治医の先生には体調や困っていることを聴いていただいて薬の調整もしていただき、看護師さんには調子が悪くなった時の頓服薬を飲むタイミングを教えていただいたり、薬以外の対処法を一緒に考えていただきました。その他にも公認心理師さんや作業療法士さんにもお世話になり、特に今でも覚えている、とある日のカウンセリングの中で心理師さんに「死にたくなるのは頑張っている証拠だからこれ以上頑張らなくて良い」という言葉です。
コロナ禍になって合計3回入院しましたが、看護師さんにも「一回目の入院の時はどうなってしまうか心配だったけど、3回目の今回は安心して見ていられる」と言っていただけて嬉しかったです。
退院してからは訪問看護を利用していますが、生活の整え方やクリニックの先生と連携をしていただいています。
私は福祉サービスの利用を始めて担当の相談支援専門員さんと出会ってから6年経ちます。
出会ってすぐの頃はお互いわかり合えない部分があり、うまく言葉で伝えられず、気持ちが不安定になることもありましたが、今では何でも相談できて私のことも気にかけてくださる強い味方になりました。
私は生まれつき持病があるので様々な医療スタッフの方々、学生時代にお世話になった先生方精神科のクリニックのスタッフの方々、家族、友人などたくさんの方々に支えていただきながら生活をしています。
特に精神科の主治医の先生とはありのままの自分を出せる人の一人です。
最近では私の本当の気持ちを引き出してくださり成長させてくださっています。
また、調子が悪い時に「少しずつよくなるから大丈夫」という言葉を信じて治療を頑張っています。
今年度に入ってから在籍している地域活動支援センターで、ピアサポーターとして仕事をさせていただいています。
これまでにやらせていただいた仕事としては看護学校に訪問して自分の経験を話す、という仕事がありました。
精神障害や発達障害など外見ではわかりにくい障害のある人達が様々な社会資源を使いながら福祉の専門職や医療関係者の手を借りながら暮らしやすい地域にするために、当事者として、ピアサポーターとして、啓発活動をしていきたいです。
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