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更新日:令和3(2021)年8月12日

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26.醍醐組と鯨のたれ

千葉県の鯨漁の今昔

夏の風物詩房州の鯨漁

 千葉県では、現在でも槌鯨漁(つちくじらりょう)を行っています。日本政府が管轄し合法的に行われている小型沿岸捕鯨が、日本全国4か所で実施されています。北海道の網走、宮城県の鮎川、和歌山県の太地、そして千葉県の南房総市(旧和田町和田浦)4か所です。和田では決められた期間(7~8月)に決められた頭数の槌鯨漁が行われています。夏になると新聞が鯨漁の開始を伝え、周辺でも鯨の肉が販売されるなど、和田浦は活気づきます。これと同じくして、肉の加工業者で鯨の肉を天日干ししている風景が見られるようになります。この槌鯨の天日干しした肉は、「鯨のたれ」と呼ばれ、房州の珍味として、現在スーパーやみやげ物屋で販売されています。

千葉県鯨漁の歴史

 こうした千葉県の捕鯨や鯨文化は一朝一夕でなされてきたわけではありせん。陸に近づいてくる寄り鯨や迷い込んでやってくる迷い鯨を銛で突き捕る漁が古くから行われていたことは、館山市の鉈切洞穴(県指定)などの縄文期の遺跡からイルカの骨が出土していることからもわかります。しかし、当時は大型の獲物をたまたま捕獲する程度の漁であり、鯨だけを意識して捕ったわけではありません。

 鯨漁を本格的・組織的に行ったのは、諸説ありますが、江戸時代初期には、鋸南町勝山の醍醐新兵衛によりはじめられていました。醍醐新兵衛は、主に現在の神奈川県三崎町と千葉県館山市を結んだ線より北方の海域を漁場とし、突組を組織し江戸時代を通して明治まで漁を行いました。この漁は、鯨船57隻3組の「セシ」と呼ばれる船頭が鯨を取り囲み銛で捕獲するものでした。

 明治半ばから30年代になると、西洋の捕鯨技術が取り入れられ、房総漁業遠洋株式会社(後の東海漁業株式会社)など会社経営で行われるようになります。漁場も小笠原地域など新たな地域が発見されるにいたって、鋸南町から館山市、その後南房総市白浜などより漁場に近い南へと拠点を移していきました。現在は、この東海漁業株式会社から業務を引き継いだ外房捕鯨株式会社が、日本沿岸小型捕鯨を行っています。

 

鯨の解体

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万祝

鯨の大漁祝い着・万祝

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