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更新日:令和2(2020)年3月5日

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15.下総台地の開発とスイカ・落花生生産

台地開発の工夫と日本一のスイカ産地

苦難の開墾

 初富(鎌ケ谷市)・二和(船橋市)・三咲(船橋市)・豊四季(柏市)・五香(松戸市)・六実・七栄(富里市)・八街・九美上(香取市)・十倉(富里市)・十余一(白井市)・十余二(柏市)・十余三(多古町)と、下総台地には1~13までの数字の付いた地名があります。これは明治の開墾の時に、開墾をしていった順番によるものです。明治政府が江戸の旧士族を中心にした開墾会社を作り、江戸幕府の直轄牧があった下総台地の開墾に乗り出しました。開墾会社は明治2年(1869)に設立され、鎌ケ谷市初富から入植は始まりました。

 開墾者たちの工夫の一つに、台地の農具を活用した開墾や畑作(台地)に適した茶や麦などの農作物の選択がありました。当時は、台地を吹く風に強いことから、今では考えられないほど、下総台地では茶が栽培されていたようです。こうした痕跡は、現在も畑の境に茶の木が風よけに植えられていることからも見受けられます。

豊かな畑の恵み、一大農業生産地に

 スイカの栽培は、昭和8年(1933)に今の富里市から始まり、昭和11年(1936)、皇室にスイカを献上したことにより、富里スイカの名が全国に知られるようになりました。

 落花生の栽培は明治29年(1896)ごろ、文違区(八街市)などで栽培されたのに始まると言われています。八街市周辺の土壌は育成に最適と言われ、落花生栽培は明治末期から急速に発展し、大正初期には特産地となりました。昭和24年(1949)には落花生の作付け面積が八街地区全耕地の約80%を占め、日本一の生産を誇りました。この頃から「八街の落花生」が全国に知られるようになりました。現在、落花生の収穫量は全国1位を誇り、品質の改良・加工方法の改善などを通じて、八街の落花生は日本一と称賛されています。また、スイカの収穫量も全国1位を誇り、サツマイモの収穫も、全国有数です。

 江戸幕府の直轄牧を開墾して一大農業生産地となった下総台地は、農業県千葉を支えているといえるでしょう。

佐倉同協社

明治の開墾会社 佐倉同協社
一面に茶畑が広がる

らっかぼっち

下総台地の名物 落花生ボッチ

ラッカセイ

落花生「千葉半立」

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