ここから本文です。

更新日:平成29(2017)年3月1日

32.製鉄工場と上総海苔の養殖

小糸川河口を舞台とした製鉄産業の発展と海苔養殖の始まり

新日本製鉄君津工場

 小糸川の河口付近、君津市の海岸部には、新日本製鉄君津工場の巨大な建物が立ち並んでいます。首都東京をひかえた千葉県内の製鉄産業は、昭和28年の川崎製鉄千葉製鉄所の創業に始まり、京葉工業地帯の先駆けとなりました。京葉工業地帯の南端・君津に製鉄所が築かれたのは昭和40年、八幡製鉄が君津工場の創立に遡ります。昭和45年には、富士製鉄と合併して新日本製鐵が発足、当時、最新鋭の設備を持った新日本製鐵君津製鉄所が誕生しました。現在でも、粗鋼生産量約1,000万トンを誇り、日本を代表する製鉄工場となっています。

上総海苔発祥の地

 昭和30年代以前、小糸川の河口付近には、広々とした豊かな干潟が広がっていました。そして、この干潟こそ、千葉県を代表する海産物「上総海苔養殖の発祥の地です。

 江戸時代、江戸の食文化の発達にともない、江戸前の海苔の需要は高まり、生産地は、隅田川河口の浅草から品川、羽田、大森周辺へと広がっていました。更なる、生産地の開拓を志したのが江戸出身の近江屋甚兵衛(おうみやじんべえ)(1766~1844)でした。

 彼は、50才を過ぎた頃から海苔の養殖場を求めて、浦安、五井、木更津の江川、久津間の名主と交渉しましたが、当時の海苔養殖は、河口付近の浅瀬に木の枝(粗朶(そだ)ヒビ)を立て並べて、海苔のタネの付着を待つという方法だったため、漁業の障害となるという理由で、次々に断られてしまいました。しかし、文政5年(1822)、小糸川河口人見村(君津市人見)の名主は、近江屋甚兵衛の熱意に動かされ、海苔養殖を受け入れ、甚兵衛は、試行錯誤の末、人見村での養殖に成功します。その後、海苔養殖は、隣の大堀村(富津市大堀)でも始められ、明治時代にかけて木更津、五井、浦安へと拡大、東京湾沿岸は海苔の一大生産地へと発展しました。海苔の養殖は、昭和に入ると網ヒビを使った方法へ変化し、現在では海苔の採集から乾燥まで、多くの作業がオートメーション化しています。

 上総海苔発祥の地は、現在は埋め立てられ、巨大な製鉄工場群へと変化しましたが、そこで始められた海苔生産は、富津岬周辺をはじめ盤津(ばんず)干潟や三番瀬へと受け継がれ、現在も香り高い江戸前の上総海苔が生産されています。

新日本製鉄

新日本製鐵君津工場

明治時代末期のヒビ立て

明治時代末期の粗朶ヒビ立て

網ヒビによる養殖

網ヒビによる養殖

よくある質問

お問い合わせ

所属課室:教育庁 教育振興部文化財課指定文化財班

電話番号:043-223-4082

ファックス番号:043-221-8126

より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください

このページの情報は役に立ちましたか?

このページの情報は見つけやすかったですか?