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更新日:令和5(2023)年3月2日
ページ番号:314838
(ごうど5ごうふん)
県指定史跡
平成元年3月10日
市原市惣社5-5-1
神門5号墳は昭和24年(1949)に早稲田大学によって発掘調査が行われ、墳頂部の埋葬施設から剣・ガラス玉・鉄鏃が発見され、「古式古墳」として報告された。しかし、墳丘や周溝の調査は行われず、当時は大型円墳と考えられていた。その後、昭和56年(1981)・59年(1984)に測量調査と墳丘の確認調査が実施され、直径30~32.5mの円形の墳丘の西側に長さ約12mの前方部が付き、全長42.6mであることが明らかとなった。また、円丘部の周溝だけでなく、前方部の側面と前面に幅の狭い区画溝があることも確認された。これらは、定型化された前方後円墳に移行する前の、畿内の出現期古墳にも通じる過渡的な様相を示している。
こうした神門5号墳の内容と、昭和50年(1975)に調査された全長49mの神門4号墳、そして昭和62年(1987)に調査された全長49.1~55mの神門3号墳の内容から、この3基は連続(5号墳→4号墳→3号墳)して築造されたと考えられている。これらの年代は3世紀中葉前後に位置付けられ、古墳時代で最も初期のもので、県内はもとより東日本で最古の古墳と考えられる。また、これら3基の古墳から出土した土器に、在来の土器に混じって、近畿・東海・北陸地方の系譜をもつ土器が数多く含まれることから、外来的な要素の強い古墳としても注目されている。
前方後方墳が圧倒的に多い古墳出現期の東日本にあって、房総半島の中央部に出現した初期の前方後円墳である神門古墳群の時期や系譜についてはまだ多くの謎が残されている。
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