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更新日:令和5(2023)年4月6日
ページ番号:314986
(じょうざかいづか)
県指定史跡
昭和57年4月6日
佐倉市上座374-1
この貝塚は印旛沼に注ぐ手繰川(たぐりがわ)左岸の標高約25mの台地上に所在する。貝層は直径約60mの範囲に点列状に分布していたものと思われるが、現在では京成電鉄の線路により南北に分断されている。
発掘調査は、昭和32年(1957)に明治大学、昭和60年(1985)及び平成9年(1997)には佐倉市教育委員会、平成4年(1992)には(財)印旛郡市文化財センターにより実施された。これらの発掘調査成果では、約7,000年前の縄文時代早期末の茅山式土器やその時期の竪穴住居跡、炉穴などが検出されている。貝層は、マガキ・ハイガイが主体となりハマグリ・アカニシ・オキシジミなどが混在する内湾性の貝による貝塚であり、獣骨・魚骨類の出土はほとんど見られない。
昭和32年(1957)の発掘調査では、茅山下層式期の竪穴住居跡と炉穴が検出されたが、特に炉穴は煙道部が遺存しているものが検出されたことによって、炉穴の使用方法が、地面を掘り込んでその中で調理などを行うものであったことが明らかとなり、その後の縄文時代早期の研究に大きく寄与した。
また、この貝塚は印旛沼水系において定住的生活が始まる縄文時代早期末の代表的遺跡でもあり、住居と炉穴の関係を知る上でも注目される。
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