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更新日:令和6(2024)年3月15日
ページ番号:315375
(だいまんよこあなぐん)
県指定史跡
昭和55年2月22日
富津市岩坂(個人)
湊川下流域北岸の南側に突き出た丘陵先端部の斜面に位置する大満横穴群は、4支群58基の横穴墓で構成されている。丘陵の頂上には、シンボル的な大満1号墳という円墳の墳丘がある。
横穴群は、丘陵の西側斜面にI群2基、II群19基、東側斜面にIII群30基、IV群7基が確認されており、それぞれ2段ないし3段に配列されている。
入口のトンネル部である羨道(せんどう)の遺存状況は良好であり、遺体を安置する部屋である玄室(げんしつ)の天井はドーム形や家形のものがある。羨道より玄室が一段高くなる高壇式(こうだんしき)のものは20基ほど確認されているが、段差(隔壁)が1m以上のものは少なく、低い隔壁のものがほとんどである。
これらの横穴墓のうち、III群第2号横穴には玄室全面に赤彩された痕跡があり、I群第1号・2号横穴では、船や網と見られる線刻画が確認されていることは特筆される。
棺を置く場所である棺座は、約半数の横穴に設けられている。この地域の特徴として棺座内にツメタガイ・ハマグリ・カキなどの貝を敷き詰める貝敷床が認められる。
発掘調査は、昭和27年(1952)に学習院高等科史学部がI群の2基を、千葉県立天羽高等学校がIII群の一部を行い、昭和47年(1972)に岩坂大満横穴調査団がIII群の1号~4号横穴の4基を行っている。これまでの調査によると造営時期は7世紀代と考えられる。
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