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更新日:令和5(2023)年12月14日
ページ番号:315045
(みなみおおためぶくろいせき)
県指定史跡
昭和50年3月28日
富里市七栄(個人)
印旛沼に注ぐ鹿島川支流の上流、標高およそ36mの日当たりの良い南向き台地上にある遺跡である。昭和43年(1968)、この遺跡の研究を精力的に行っていた地元研究者によって、採集資料が雑誌に発表された。この報告が契機となり、昭和47年(1972)11月に成城大学考古学研究室を中心として、発掘調査が行われ、関東ローム層と呼ばれる赤土の最上層から細身で棒状の特徴的な石槍が多量に検出された。
「本ノ木(もとのき:新潟県本ノ木遺跡を標識遺跡とする)型」とよばれるこの形態の石槍は、かつて旧石器時代の所産か縄文時代の所産かで論争(本ノ木論争)を呼んだが、現在は土器が出現する時期の石器群とされている。石槍はおそらく、材料となる石材が豊富な地域であらかた作られ、完成品に近いものが遺跡に運び込まれたと考えられる。石槍の他には、抉入削器(えぐりいりさくき)・矢柄研磨器様石器(やがらけんまきようせっき)と呼ばれるこの時期に特有な石器が一緒に出土している。
現在よりも寒かったといわれている旧石器時代を経て、定住的な生活が始まる縄文時代に向かって、徐々に温暖化する気候の変化は、動物相や植物相の変化をもたらし、人間の生活に大きな影響を与えたと思われる。このような人間を取り巻く環境の変化は、狩猟の対象や方法、道具の変化、そして土器の発明などをもたらしたものと考えられる。
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