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更新日:令和3(2021)年5月11日
ページ番号:315110
(てつぎゅうおしょうはか)
県指定史跡
昭和45年4月17日
香取郡東庄町小南690(福聚寺)
江戸時代の干拓工事で最も成功した事業といわれるのが「椿海(つばきのうみ)」の干拓事業である。椿海は現在の東庄町、干潟町、旭市、匝瑳市にまたがる潟湖であり、この干拓事業を推進したのが鉄牛和尚であった。
鉄牛和尚は、寛永5年(1628)に現在の山口県で生まれた。14歳で出家、諸所を遍歴し27歳で長崎に行き、そこで中国から渡来した木庵と隠元から教えを受け、木庵の侍者となって京都の宇治で黄檗山万福寺の創建に尽力しました。
椿海の新田干拓計画は、寛永16年(1639)頃から計画されていたものであったが、幕府の要人から重きを置かれるようになっていた鉄牛が、幕府を説得するとともに工事費用を調達し、寛文11年(1671)にこの大工事を完成させたのである。この事業により、干潟8万石といわれる良田2,741町歩が整備された。
鉄牛は、この干拓による功績により幕府から寺地を寄進され、その寺地に創建した福聚寺(ふくしゅうじ)で晩年を過ごし、同寺において元禄13年(1700)、73才で没した。遺言により境内で荼毘(だび)に付され、その場所には高さ約2mに及ぶ巨大な石塔が建てられた。この石塔は、墓石が仙台藩主伊達綱村、台座・基壇は佐倉藩主稲葉正通の寄進によるものである。
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