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更新日:令和6(2024)年9月11日
ページ番号:315093
(にしのじょうかいづか)
県指定史跡
昭和41年12月2日
香取郡神崎町並木671(千葉県)
西の城貝塚は、旧霞ヶ浦を臨む独立した台地上にある。
昭和29・38年(1954・1963)に早稲田大学を中心として発掘調査が行われたほか、その後も数度の確認調査・測量調査などが行われた結果、この台地は古墳群や中世城館の築造時に大きく地形が改変され、古墳の墳丘下に残った貝層以外はほとんど消滅していることが判明した。
貝種はほとんどが汽水域(きすいいき)に棲息するヤマトシジミで占められることから、縄文海進のピークより前の段階で、まだ台地の下の沖積地は完全に海水が入り込む状況ではなく、淡水に近いか、わずかに潮のさす環境であったことが分かる。
貝塚は、縄文時代早期初頭に位置づけられる井草(いぐさ)式土器から稲荷台(いなりだい)式土器が貝層中から出土することから、淡水性の貝塚としては県内では最古のものといえる。
貝層はほぼ水平に堆積しており、出土土器の層位的出土事例は土器の編年研究に大きく寄与した。また、2次調査において、貝層下から井草I式期の竪穴住居跡が発見され、当時としては最古の住居跡として注目を集めた。
土器以外には、偏平な礫(れき)を素材とした石斧(せきふ)をはじめとした石器類や、めずらしいものではイノシシの牙を加工した小型の牙斧(がふ)が出土している。
本貝塚は周辺地域の環境復元と人類の行動を推察する上で、重要な貝塚と位置づけられる。
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