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更新日:令和6(2024)年2月8日
ページ番号:314996
(やつしろたまつくりいせき)
県指定史跡
昭和41年12月2日
成田市玉造2-9(成田市)
八代玉作遺跡は、成田ニュータウンの北端部分に位置している。周辺には多くの古墳が分布した公津原古墳群があり、北北東約500mには、外小代玉作遺跡が位置する。
昭和30年(1955)に採集されていた奇妙な形の薄緑色の小石片を契機として、昭和37年(1962)11月と昭和38年(1963)10・11月の2度、発掘調査が行われた。調査の結果、工房と考えられる竪穴建物跡3棟や緑色凝灰岩の管玉とその未製品、原石・剥片、そして砥石などが出土し、古墳時代前期から中期にかけての玉作遺跡であることが判明した。この遺跡は東日本で最初に発掘調査された玉作遺跡である。
その後、昭和46年(1971)には成田ニュータウンの建設に伴って発掘調査が行われ、7棟の玉作工房が検出された。最初の調査とあわせて10棟の玉作工房が谷を取り囲むように位置し、古墳時代前期から中期にかけ、主に緑色凝灰岩を材料とした管玉の製作が行われていたことが明らかになった。
成田市の北部地域は、古代の下総国埴生郡玉作郷と考えられており、実際に玉作遺跡が検出された意義は大きい。
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