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更新日:令和6(2024)年3月15日
ページ番号:315377
(きぬよこあなぐん)
県指定史跡
昭和41年5月20日
富津市絹(個人)
岩瀬川北岸の丘陵南側斜面に位置する絹横穴群は2支群11基の横穴墓で構成される。いずれの横穴墓も遺体を安置する部屋である玄室(玄室)が入口のトンネル部である羨道(せんどう)よりも一段上にある高壇式(こうだんしき)であり、玄室の平面形態は羨道よりも玄室が両側に張出した両袖式、天井はドーム形である。
注目されるのは2基の横穴墓の壁面に文字が刻まれているのが確認されていることである。1号横穴には「大同元年」・「許世」、10号横穴には「木」の文字がそれぞれ刻まれている。
「大同元年」は西暦806年で、平安時代初期の年号である。横穴の造られた年号ではないが、造墓後の祭祀、追善行為等を考える上で貴重な資料といえよう。
「許世」・「木」は「こせ」・「き」と読み、中央の豪族である「巨勢氏」・「紀氏」を意味すると考えられている。紀氏については、成東町真行寺廃寺と市原市二日市場廃寺で藤原京の紀寺の系統をもつ瓦が出土しており、紀氏と房総との関係がうかがえ、また、巨勢氏についても同様の関係があったと想像される。
1号横穴に記された文字
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