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更新日:令和5(2023)年5月11日
ページ番号:314701
(かずさおおたきじょうほんまるあと)
県指定史跡
昭和41年5月20日
夷隅郡大多喜町大多喜481(千葉県)
大多喜城は、夷隅川の蛇行による曲流部に張り出した半島状の台地上に位置している。城は戦国時代から所在したが、近世に入り徳川四天王の一人と言われた本多平八郎忠勝が10万石を拝領し、城主となった。忠勝は入城後直ちに近世城郭としての大多喜城建築に着手した。その後は阿部氏、稲垣氏、大河内氏などが城主となっている。
近世大多喜城本丸跡は、県立中央博物館大多喜城分館が所在する場所で、6,420平方メートルの面積がある。周囲にわずかながら土塁が残っている。本丸跡は昭和48年(1973)に、県立総南博物館建設に先立ち、建設用地のみを対象に発掘調査が実施され、中国製陶磁器や瀬戸・美濃窯製の陶磁器に加え、五輪塔を浮き彫りにした石塔などが出土した。
本丸跡の東側の崖からは、現在県立大多喜高等学校となっている二の丸跡や城下町を見下ろすことができる。大多喜高等学校のグランドの一隅には、本多忠勝が掘らせたという周囲17m、深さ20mの大井戸があり、また、学校敷地内には薬医門が移築保存されている。
薬医門
大井戸
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