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更新日:令和5(2023)年12月14日
ページ番号:315425
(にほんらくのうはっしょうち)
県指定史跡
昭和38年5月4日
南房総市大井2537(千葉県)
安房地方の牧畜は、平安時代にさかのぼるといわれているが、本格的には戦国時代の里見氏が軍用馬育成のため、嶺岡山(みねおかやま)に牧場を開いたのが始まりである。
江戸幕府もこれを継承したが、享保13年(1728)に享保の改革で有名な八代将軍徳川吉宗によって、牛酪(バターの類)製造のために印度産白牛3頭がここに放たれ、我が国最初の「白牛酪」がつくられた。その後、寛政(1789~1801)の頃には70余頭に繁殖したと伝えられている。
明治維新後、新政府により嶺岡牧は接収され、公的な酪農産業の育成が図られたが、一時的に民間への払い下げを経た後、明治44年(1911)に千葉県に移管され、千葉県嶺岡乳牛試験場が発足し、本県が全国有数の酪農県となる基礎を築いた。
現在、この場所は畜産総合研究センター嶺岡乳牛研究所としてホルスタイン種の研究を行っているとともに、「千葉県酪農のさと」として放牧地で牛や山羊たちと触れ合うことができる。
酪農発祥のシンボルでもある白牛も飼われており、耳がうさぎのように大きく、犬のようにたれている愛らしい姿を見ることができる。
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