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更新日:令和5(2023)年12月14日
ページ番号:315396
(ひしかわもろのぶたんじょうち)
県指定史跡
昭和33年4月23日
安房郡鋸南町保田182(鋸南町)
「見返り美人」の作者として有名な菱川師宣は、寛永7年(1630)頃、縫箔刺繍(ぬいはくししゅう)を業(なりわい)とする吉左衛門の4番目の子、長男(7人兄弟)として、保田で生まれた。幼い頃から絵を描くのが好きだった師宣は、刺繍の下絵を描くかたわら、漢画や狩野・土佐派の絵を独学で学び、絵師を志すようになった。
江戸に出た師宣は、当時広く出回っていた御伽草子や絵草紙の版下絵師として徐々に頭角を現した。当時の江戸町人好みの絵は、江戸歌舞伎や名所などの浮世の楽しみを描いた風俗画の部類であった。師宣の江戸庶民を題材とした独自の美人画は、「菱川やうの吾妻俤(あづまおもかげ)」と詠まれるほど流行し、特に木版画に彩色を施し大量に複製する方式を用いたことから「浮世絵の祖」とよばれている。師宣の没後、浮世絵は技法的にも発達し、約1世紀後には多色摺りの錦絵へと発展した。
江戸で大成した師宣であるが、ふるさとへの想いは大きく、「房陽」「房国」の文字を落款(らっかん)に入れたり、息子の名に房を用い「師房(もろふさ)」と名付けるなど、故郷を常に愛していたようである。元禄7年(1694)6月4日江戸で亡くなり、遺骨は遺言により故郷保田の別願院へ葬られたと伝えられているが、その墓石は元禄16年(1703)の大津波で流され現在は残っていない。
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