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更新日:令和5(2023)年12月14日
ページ番号:315044
(とみさとぼくようじょうあと)
県指定史跡
昭和30年12月15日
富里市十倉1322ほか(富里市)
明治8年(1875)、時の内務卿(現在で言うところの首相)大久保利通は、日本が欧米の先進資本主義国と対抗するため産業保護育成政策として「殖産興業」を掲げた。明治政府は、毛織物の原材料となる羊毛の国内自給を目指して、日本で最初の牧羊場を旧富里村の十倉、七栄等に開設し、それらを管理する事務所を現在の富里市両国に置きました。この土地の選定には、江戸時代に幕府直轄の「牧」経営が組織的に運営されてきた土地柄であったことが関係している。
その指導に当たっては、アメリカ人牧羊家ジョーンズ氏が招かれ、牧羊場地の選定から飼育の仕方まで指導を受けて羊の飼育が始められたが、明治12年(1879)、ジョーンズ氏が不慮の事故により退職したことで富里牧羊場は、当初の計画通りの成果を上げることが困難となり、明治13年(1880)には取香種畜場と合併し、「下総種畜場」と称され、短い牧羊場経営に幕が引かれた。
その後、昭和17年(1942)に「下総御料牧場」として再生を果たすが、昭和41年(1966)、この地に成田空港の建設が計画されたことから、御料牧場は栃木県那須へ移転した。
両国十字路の先にある小さな公園には「富里牧羊場跡の碑」が建てられ、近代牧畜の発祥と大久保利通の先見的な計画を継承し、脈々と続いてきた「牧畜の歴史」を私たちに伝えてくれる。
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