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更新日:令和6(2024)年12月17日
ページ番号:315220
(みやざくけんちょうあと)
県指定史跡
昭和29年12月21日
大網白里市大網3002ほか(本国寺)
本国寺(ほんごくじ)は、空海創草と伝えられる真言宗の寺であったが、文明3年(1471)に顕本法華宗に改宗し、さらに現在は日蓮宗の寺となっている。元和8年(1622)に、仏教の学問所である宮谷檀林(みやざくだんりん)が創設され、盛時には800名の学僧を擁したといわれている。
慶応4年(1868)閏4月、新政府は政体書を発布し、府藩県三治政を定め、旧天領には府県を置き知事・県令を任命し、旧藩については従来の制度を存続させることとした。7月、安房の天領地域を統治するために、久留米藩士・柴山典が上州軍監から上総房州監察兼知県事(房総知県事)に転任し、房総における初めての新政府民政担当の地方長官となった。同年9月に改元が行われ明治となったが、12月には宮谷檀林の学寮を知県事役所とした。翌明治2年(1869)2月に房総知県事の管轄地域が宮谷県と命名されたことにより、知県事役所は宮谷県の県庁に改められ、本国寺本堂(旧宮谷檀林大講堂)を除く一切の諸堂が庁舎として使用された。宮谷県の管轄範囲は、上総・安房と常陸の一部を含む旧天領地域であった。
明治4年(1871)7月に廃藩置県が行われ、同年11月、第1次府県統合で安房・上総全域が新たに木更津県として統合されたことにより、宮谷県は廃止された。その後、明治6(1873)年6月15日、木更津県と印旛県が合併し、現在の姿に近い千葉県が誕生した。
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