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更新日:令和5(2023)年5月11日
ページ番号:315338
(おうみやじんべえはか)
県指定史跡
昭和29年12月21日
君津市人見1-11-7(青蓮寺)
近江屋甚兵衛の墓は、小糸川の河口近くにある人見山下の青蓮寺境内にある。
甚兵衛は、明和3年(1766)江戸四谷に生まれ、浅草海苔の商人のかたわら海苔の養殖と製造法を研究し、河川の流入する遠浅の海に「ひび木」を立て込めば必ず成功するとの信念をもつに至った。当時、海苔は品川、大森にしかできないといわれていたが、甚兵衛55歳のとき、新しい土地での海苔づくりを思い立ち、海苔づくりの勧誘、指導の旅に出た。まず江戸川の浦安から始めて養老川、小櫃川へと各地で村人に勧めたが、どこにも聞き入れてもらえず、文政5年(1822)秋に最後の望みをかけた小糸川河口の人見で、反対意見があったものの、名主の協力により甚兵衛の海苔養殖の提案が受け入れられ、苦労の末、海苔養殖に成功したのである。
その後、甚兵衛の指導によって近在の村々に海苔養殖が普及し、「上総海苔」として全国にその名を博した。また、海苔養殖の成功により、それまで零細な規模で営まれていた沿岸の漁業に大きな潤いを与える基礎を築いた。
甚兵衛は、「上総海苔」の発展に尽くし、弘化元年(1844)9月12日79歳で没している。村人たちは甚兵衛の死を悼み、前畑(現君津市人見3)の墓地に手厚く葬った。その後明治44年(1911)3月、漁業組合の世話人によって現在の青蓮寺境内に墓が移された。
なお、昭和63年(1988)5月に「君津市漁業資料館」(君津市神門)が開館し、海苔養殖資料を展示するとともに、甚兵衛の業績を顕彰している。
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