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更新日:令和2(2020)年4月16日
ページ番号:315125
(さとうたかなかたんじょうち)
県指定史跡
昭和12年3月19日
香取市小見川450-1ほか(香取市)
山口舜海(しゅんかい:佐藤尚中)(1827~1882)は、文政10年(1827)下総国小見川で小見川藩の医師山口甫僊(ほせん)の次男として生まれ、江戸に出て西洋医学を学んだ。師の佐藤泰然(たいぜん)が、佐倉藩主堀田正睦(まさよし)に招かれたのに従って佐倉に移り、「順天堂」(本書188頁)の外科医として多くの患者を救い、また、多くの塾生に、蘭学の指導を行った。そして、嘉永6年(1853)、泰然の養子となって佐藤姓に改めた。万延元年(1860)頃には、「尚中」という名前を使うようになります。明治2年(1869)に、尚中は政府に招かれて大学東校(現在の東京大学医学部)の中心となり、その基礎を築いた。その後、東京に私立の「順天堂医院」を開いたが、それが発展して今の順天堂大学となった。
佐藤尚中が生まれた屋敷地跡は、現在内浜公園として整備され、この中に記念碑や「尚中先生産湯の井戸」がある。
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