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更新日:令和6(2024)年3月15日
ページ番号:315373
(べんてんやまこふん)
国指定史跡
昭和4年12月17日
富津市小久保3017-1ほか(富津市)
富津岬の南、東京湾を望む台地上に立地する弁天山古墳は、内裏塚古墳群の最南端に位置する全長86mの前方後円墳である。明治元年(1868)に小久保藩の藩校を建設するために墳麓を削って以来、墳丘は度々改変を受けていたが、昭和2年(1927)4月に小学校を建設するため後円部の墳頂にあった厳島神社の一部を崩した際に石室の一部が見つかり、内務省に報告された。そして、同年の9月には内務省の柴田常恵らによって発掘調査が行われ、昭和4年(1929)には国の史跡に指定された。
その後、昭和46年(1971)、昭和50・51年(1975・1976)度に保存整備のための調査が行われ、埴輪、石室の形態、石室内に残存していた遺物などが明らかになった。埴輪は、円筒埴輪のタガの断面が細身で高さのある台形であり、5世紀後半代の特徴をもつものであった。石室は、砂岩の転石を小口積みにして、天井を大型の板状の切石で覆った竪穴式石室である。天井の真ん中に置かれた石には、縄かけ突起が造り出されており、長持形石棺の蓋石の要素を取り込んだ極めて特殊な形式として注目されている。遺物は、剣、大刀、鉄鏃、錨留短甲、衝角付冑、鎌が出土した。
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