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更新日:令和2(2020)年5月2日
ページ番号:314861
(おおつかばやし)
県指定無形民俗文化財
昭和45年1月30日
市原市海保
市原市周辺は江戸時代初期から出羽三山信仰が大変盛んで、海保地区の人々も毎年羽黒山(山形県)などに参拝していた。行程には数十日もかかったが、海保の男は三山詣でをしないと一人前に扱われなかった。初めて無事に帰還した者は、「行人」と呼ばれ、その証しに「梵天」という御符をもらう。村の者がもつ梵天が増えてきたら、これを埋納する「梵天納め」という行事を行った。梵天納めは約20年に1度程度行ったという。この梵天を納める塚が、海保地区の丘陵の突端にあった通称「大塚」である。以前は漁師の海上からの目印ともなっていた。梵天納めの日は全ての梵天を神輿につけ、練り歩く。行列の前後には山車が6基くらい出たが、この山車の上で演じられたのが大塚ばやしであった。囃子は壮麗さや技法を互いに競い合い、それはにぎやかであったといわれている。
しかし、盛大だった大塚の梵天納めも、大正10年を最後に途絶え、これに伴って大塚ばやしも自然に消滅する運命にあった。しかし、第二次大戦後間もなく囃子連ができ、その後保存会が整えられて、現在は海保神社の祭礼日などで定期的に演じられている。
大塚ばやしは大太鼓1、小太鼓2、笛1、鉦1の構成で、動作が大きく派手なのが特徴である。技法的には神田ばやしの系統を引くものである。「五囃子」「岡崎」「大塚囃子」などの曲目があるが、「大塚囃子」の時には全身を大きくゆさぶりながら3色の房をつけた撥で太鼓を打ち、また時折高く投げ上げる「曲撥」も行う。かつての出羽三山信仰の興隆を今に伝える華やかな囃子である。
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