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更新日:令和2(2020)年10月24日
ページ番号:315185
(しらますこなやおどり)
県指定無形民俗文化財
昭和43年4月9日
山武郡芝山町大里
「おいとこそうだよ・・・」という歌いだしで始まる歌にあわせて踊る手踊りが、千葉県の下総地方から埼玉県、そして東北地方に広く伝えられている。特に宮城県や岩手県、山形県、秋田県などでは盛んで、「おいとこ節」と呼ばれて宴席などで親しまれている。その発祥の地といわれるのが芝山町白桝で、芝山町周辺では「白桝粉屋おどり」の名で呼ばれている。かつてこの一帯では、人が集まるとすぐに「白桝粉屋おどり」が始まったといい、特に盆の時期には夜を徹して踊った。
東北地方への普及について、一説には天保年間(1830~1843)の印旛沼の干拓の際に、東北地方から集められてきた土工たちが当時下総一帯で流行っていた歌と踊りを覚え、故郷で広めたものともいわれている。
踊り手は全員女性で、男役と女役5人ずつが横一列になり、時々前後が入れ替わりながら踊る。歌い手一人にアメヤ太鼓1人、四ツ竹2人、笛1人で伴奏し、これに合わせて「エンヤホイ」と掛け声をかけながら踊るものである。
歌詞の内容は、器量よしで評判の白桝村の粉屋の娘、お小夜(またはお梅、久子などともいう)の婿になりたいものだ、と歌っている。白桝の木内家墓所に「容顔院妙歌日詠」とあるのがその娘ではないかといわれている。言い伝えでは、江戸時代の半ば頃、多古町日本寺の中村檀林(学問寺)で学んでいた若い僧侶が、芝山町の白桝粉屋の娘を慕っていたが、修行の後に訪ねてみると娘は死んでいた。これを哀れんで歌った歌が檀林内で流行り、僧侶達によって各地に広まったと伝えられている。
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