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更新日:令和5(2023)年7月13日
ページ番号:315212
(くじゅうくりたいりょうぶし)
県指定無形民俗文化財
昭和38年5月4日
山武郡九十九里町片貝
九十九里浜の沖合いは、いわしが多く回遊し、また長く続く砂浜は遠浅のため江戸時代から地曳網漁が発達した。元禄年間(1688~1703)にはいわし漁の最盛期を迎えますが、この頃から獲れたいわしは干鰯に加工され、稲作や綿作の肥料として全国で利用されるようになった。
九十九里大漁節は、活気に沸いたいわしの地曳網漁の様子を詠みこんだ歌で、大漁の祝いの宴席などで歌われた。発生時期は、恐らく、天保10年(1839)の大漁期の頃と考えられている。
しかし、九十九里のいわし大地曳網漁は明治時代になってから不漁続きで、九十九里大漁節も一時は人々から忘れ去られていた。そして、逆に銚子の八手網漁で豊漁が続き、この頃作られた銚子大漁節が各地に広まっていった。昭和35年頃、これを憂えた人々が、九十九里町片貝屋形地区の子安貞吉氏が覚えていた唄を頼りに復元し、保存会によって伝承されるようになったのが現在の九十九里大漁節である。
「一つとせー一番袋にきめこんで朝から晩まで背負いあげる浜大漁だねコリャコリャ」から始まる数え歌で、今は宴席の最後の〆などに手踊りと一緒に歌われ、九十九里地域の人々に親しまれている。
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