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更新日:令和5(2023)年10月6日
ページ番号:315349
(みしまのぼうじゅつとかっこまい)
県指定無形民俗文化財
昭和37年5月1日
君津市宿原・奥米・豊英・旅名(三島神社)
9月の最終日曜または10月の第1日曜日に行われる三島神社の祭礼で演じられている。三島神社の氏子である4つの伝承地区のうち、旅名地区が羯鼓舞を、他の豊英・宿原・奥米の3地区が棒術を伝承している。
祭礼当日、高さ10m以上もある各地区の大きな幡を先頭に、棒術・羯鼓舞の演者、神輿や鉾などの行列が神社に勢いよく入れ込み、そのあと棒術、羯鼓舞の奉納となる。
棒術は2人の演者が、六尺棒、刀、木刀、なぎなた、鎌、扇子などを持って立ち会う。口伝では昔、源頼朝がこの地を通った際に、随行してきた兵士が土地に土着し伝えたものといわれている。豊英には丸橋流、宿原には蓮見流・田原流、奥米には朝山一伝流が伝えられている。
棒術のあと、羯鼓舞が演じられている。頭に羽毛をさした親獅子・中獅子・牝獅子の3匹がお腹につけた羯鼓を打ちながら踊る。この羯鼓舞には雨乞いの意味があると伝えられている。花笠をかぶって四方に立つ「ササラすり」の中央で獅子達が舞う様子は、「四方のあまねく民」すなわち大勢の農民が日照りに困り神に祈っているところへ3匹の龍神が現れ、雨とともに踊っている様子を表わすともいう。
昔は旱魃の時には雨乞い信仰の対象である鹿野山の白鳥神社などでも、この羯鼓舞と棒術を奉納したという。
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