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更新日:令和5(2023)年7月13日
ページ番号:315295
(ながれやまのみりんじょうぞうようぐ)
県指定有形民俗文化財
平成11年3月30日
流山市加1-1225-6(流山市立博物館)
流山は、京都府の伏見、愛知県の三河と並ぶみりんの名産地である。江戸川沿いの河岸として発展した流山は、江戸へのみりん供給地として生産を伸ばし、江戸時代末期から明治時代にかけて、全国にその名を知られるようになった。
流山のみりん醸造業者としては、「万上」の銘柄を出した堀切家と、「天晴」の銘柄を出した秋元家が有名である。堀切家は、2代目紋次郎が文化11年(1814)に白みりんの醸造に成功して販売を始め、のち大正14年(1925)に野田醤油株式会社と合併して今に至っている。一方、秋元家は5代目三左衛門が天明2年(1782)に酒とみりんの醸造を開始し、何度か銘柄名を変えながら昭和前期には廃業している。本資料は、この両家に関係する資料からなっている。堀切家の資料は、万上みりんが合併後、醸造設備を新しく切り替えていった際に倉庫に保管された古い道具類で、さまざまな桶類や麹蓋、圧搾袋や焼印などが含まれている。これらによって機械化以前のみりん醸造法を知ることができる。また秋元家関係の資料は、その分家が販売していたみりん・酒類のラベルや下絵・石版などで、町内の印刷業者、自盛堂に残されていたものである。
両方あわせて千葉県を代表する産業のひとつである流山のみりん製造・販売の実態を示す基本資料として貴重である。
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