ここから本文です。
ホーム > 教育・文化・スポーツ > 歴史・文化 > 文化・文化財 > 文化財 > 市町村別の国・県指定および国登録文化財 > 印旛エリアの市町 > 富里市の県指定および国登録文化財 > 佐倉牧の牧士資料
更新日:令和3(2021)年11月26日
ページ番号:315042
(さくらまきのもくししりょう)
県指定有形文化財(歴史資料)
昭和50年12月12日
富里市七栄652-1(冨里市)
下総の台地は、古くから馬の生産が盛んであり、江戸幕府は軍馬の供給を目的として、この地に佐倉牧と小金牧という二つの牧を設けた。佐倉牧はさらに7牧に分かれ、その範囲は現在の成田市、八街市、富里市、多古町、芝山町、香取市に及び、面積は約9,700haになるといわれている。馬は放牧というよりは自然の状態で生息する野馬のままで、1年に1回馬追いをして馬を捕らえ、良馬を選んだ。これらの牧跡は、野馬除土手や捕込跡として今でも残っている。
藤崎家は、天保4年(1833)に2代目勝左衛門が牧士に任じられて以来、江戸幕府の牧士を勤めた家である。牧士は牧の直接管理者で、名字帯刀のほか、麻裃の着用、乗馬、鉄砲の所持を許された身分で、牧で実際の作業を行う勢子を使い、牧内の水や樹木の手入、馬追い等の管理業務に従事した。
この資料は、藤崎家が大切に保管してきた牧士関係の資料のうち、牧士の衣服、馬具、畜産用具、由緒書、文書などからなる41点の資料で、江戸幕府の馬事政策、牧士の生活、牧の実情などを伝える重要な資料となっている。
関連リンク
お問い合わせ
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください