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更新日:令和5(2023)年10月5日
ページ番号:315097
(はなわだいいせきやよいさいそうぼしゅつどいぶつ)
県指定有形文化財(考古資料)
平成19年3月16日
香取郡多古町大門205-6(多古町)
塙台遺跡は、多古町の市街地南側の栗山川右岸に広がる水田地帯の中に浮かぶ独立した台地上に所在し、この地に千葉氏の城があったため、別に志摩城跡(しまじょうあと)とも呼ばれている。ほ場整備事業などにより平成12~16年度に発掘調査が行われ、弥生時代中期初頭から中期中葉にかけての墓跡や、縄文時代あるいは古墳時代の竪穴住居跡などが検出された。
東日本の縄文時代晩期末から弥生時代前半の墓には、いったん遺体を埋葬して白骨化したあと、再びその骨だけを大型の壺に納骨する方法が採られるものがある。主に東北地方から中部、関東地方で発見されているが、骨を入れた数個の壺が一つの穴に納められるものが多く、これらは壺棺再葬墓、再葬墓、あるいは弥生再葬墓と呼ばれている。
塙台遺跡で弥生再葬墓に使われた土器には、貝殻などによる羽状条痕と呼ばれる文様があるものや縄文などの文様が施されたものがあり、それらの文様や壺の形に東海地方、西関東地方、北関東地方等で出土する土器の特徴が認められる。また、墓穴からは、管玉などの副葬品も一緒に出土している。
塙台遺跡の弥生再葬墓は64基が発見されており、これまでのところ関東地方で最大級の群集規模である。また、他地域の多彩な土器が同じ墓の中で発見されていることなど、出土した弥生時代中期の土器や管玉などの遺物は大変重要な資料である。
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