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更新日:令和5(2023)年8月21日
ページ番号:315061
(もくぞうびしゃもんてん りょうわきじりゅうぞう)
県指定有形文化財(彫刻)
昭和29年3月31日
印西市松崎396(多聞院)
毘沙門天像は、カヤ材の寄木造で、本来は彩色されていたものと思われるが、現在は素地像で、像の高さは139cmである。頭部は両耳の後で前後に割られ、内刳が施されつなぎ合わされ、胸部の襟の線で挿首とされている。体部も前後に割られ内刳され、つなぎ合わされ、両腕は肩と手首でつなぎ合わされている。両脇侍はカヤ材の一木造で、前後に割られ、内刳され、つなぎ合わされている。吉祥天は肩と手首で、善膩師童子は手首でつなぎ合わされている。
中尊の毘沙門天は、髻を三束に結び、宝冠台を着け、眉をつり上げ、怒りの目で、口を真一文字に結ぶ。革甲を着け、左腕は肘を曲げて戟を握り、右腕は腰脇に当て、腰を右に捻り、左足を少し脇に開き邪鬼の上に立つ。吉祥天は髻を結い、額の上に飾りを着け、垂髪を背に垂らし、長い袖の衣を着ける。善膩師童子は、髪を鬟に結い、狩衣を着け、両手で箱を献げている。
毘沙門天は気迫ある像で、全体の厚手な木取り、頬を強く張った顔、太い首、いかり肩の姿など鎌倉時代の特徴である写実性がよく表現された作品になっている。毘沙門天と吉祥天の像内の銘文に、正応2年(1289)に比丘尼法達と僧明観が発願し、仏師賢光によって造像されたことが記されている。
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