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更新日:令和5(2023)年8月8日
ページ番号:314639
(うなかみはちまんぐうほんでん)
重要文化財(建造物)
平成2年3月16日
銚子市柴崎町1-17(海上八幡宮)
海上八幡宮は、大同2年(807)に宇佐八幡を勧請したと伝えられる海上地方の古社で、海上郡六十余郷の総鎮守として栄え総社八幡と呼ばれていた。源頼朝が鎌倉に幕府を開くときに現在の地へ遷座したと伝えられ、東流する利根川右岸の河岸段丘上に、拝殿、幣殿、本殿と配置されその主軸をほぼ東に向けて鎮座している。
本殿は、茅負型銅板葺きの規模の大きい三間社流造(さんけんしゃながれづくり)の社殿である。柱上の組物は出組で、中備には「梅に鶯」、「葡萄に栗鼠」、「松に鷹」などの動植物の彫刻をふんだんにあしらった本蟇股(ほんかえるまた)を設置し、妻飾りは二重虹梁(こうりょう)式である。四周には擬宝珠高欄の縁を廻らしている。また、正面3間の向拝(ごはい)中央の柱間は虹梁を省略、そこに唐獅子の木鼻(きばな)彫刻をつけ、例の少ない技巧的手法も見られる。柱・組物などの軸部及び支輪・垂木は弁柄(べんがら)塗で向拝柱は黒塗、蟇股および木鼻、手挟(たばさみ)などの彫刻には極彩色が施されている。
桁の墨書によって、この建築が天和3年(1683)に大工「下総国香取郡木之内小見川村寺嶋善兵衛」「助市郎」親子によって築造されたことがわかる。
この本殿は、江戸時代前期から中期にかけての近世社寺の発展過程と、当時の海上郡地方の繁栄を示す建築物とされている。
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