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更新日:令和5(2023)年4月14日
ページ番号:314835
(かずさこくぶんにじあと)
国指定史跡
昭和58年8月3日
市原市国分寺台
国分寺は、天平13年(741)に聖武天皇の詔によって全国に建立された国立の寺院である。正しくは金光明四天王護国之寺という僧寺と、法華滅罪之寺という尼寺が同時に建立された。
上総国分尼寺跡は数度の発掘調査が行われ、伽藍配置ばかりでなく、尼寺を構成するいくつもの施設の存在が判明した。寺の施設には、尼僧の日常生活にかかる大衆院、事務を執る政所院、建物の修理をする大工や金工の工房である修理院、薬草や野菜、花などを栽培した薗院、花苑院、寺の雑役などに従事した人たちの居住する賎院などがある。
寺域は南北が372m、東西は北辺で285mで、面積は約12万3千平方メートルにおよび、規模のわかっている全国の国分尼寺の中では最大規模を誇る。伽藍地は寺域の南西寄りで、南北200m、東西170mの規模を有する。現在までに判明している主要な建物跡は、金堂跡、講堂跡、鐘楼跡、経楼跡、回廊跡、門跡のほか、八脚門であった中門と東西の門跡、北門、金属の加工を行った工房跡がある。現在、中門と回廊の一部が復元されており、隣接して史跡上総国分尼寺跡展示館が設けられている。
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