ここから本文です。
ホーム > 教育・文化・スポーツ > 歴史・文化 > 文化・文化財 > 文化財 > 市町村別の国・県指定および国登録文化財 > 京葉エリアの市 > 市川市の国・県指定および国登録文化財 > 姥山貝塚
更新日:令和2(2020)年8月20日
ページ番号:314929
(うばやまかいづか)
国指定史跡
昭和42年8月17日
市川市柏井町1-1195ほか(市川市)
姥山貝塚は、大柏川下流域左岸の標高約23mの台地上に位置する、東西約130m、南北約120mの馬蹄形貝塚である。海棲の貝を主体とする主鹹貝塚(しゅかんかいづか)で、ハマグリを主体として30種以上の貝が知られている。貝塚が形成された時期は、出土土器から縄文時代中期から後期(約5000年前から約3000年前)にわたることがわかっている。
姥山貝塚の発掘調査の歴史は古く、明治時代に始まるが、大正15年(1926)に行われた第8回東京人類学会遠足会で貝層の下からはじめて遺構を検出することに成功し、これを契機に東京大学人類学教室による大規模な調査が実施された。この調査によって、それまで断片的だった縄文時代の竪穴住居跡が初めて完全な姿で発掘されたが、そのうちの1軒からは成人男女各2人と子ども1人の計5人の人骨が住居跡の床から横たわるようにして発見された。この特異な出土状況から、フグ中毒による死亡説をはじめ、当時から5人の関係・死亡原因の推定など大きな話題を提供してきた。
戦後、日本考古学研究所・東京大学・明治大学によって実施された調査においても、各調査地点から多量の埋葬人骨が発見されており、関東地方の縄文人の研究資料として活用されている。
関連リンク
お問い合わせ
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください