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更新日:令和5(2023)年4月6日
ページ番号:314834
(かずさこくぶんじあと)
国指定史跡
昭和41年2月17日
市原市惣社上クボミほか
国分寺は、天平13年(741)に聖武天皇の詔によって全国に建立された国立の寺院で、正しくは金光明四天王護国之寺という僧寺と、法華滅罪之寺という尼寺がある。
上総国分寺跡は、通称国分寺台とよばれる養老川右岸の台地の上に所在する。昭和41年(1966)以降の数次にわたる発掘調査の成果から、金堂、講堂の基壇や中門跡、南大門跡と推定される遺構、国分寺の屋根を葺いた瓦を焼いた窯跡などが発見された。伽藍配置は右に塔を配置し、正面奥に金堂を置くもので、金堂と中門を結ぶ回廊で囲まれるが、講堂は回廊の外に位置することなどが判明している。
塔跡の基壇などが現存し、塔跡には巨大な礎石が残されているが、礎石の間隔から、塔の高さは60m前後と推定され、七重塔であったと考えられている。また、金堂の基壇は、東西26.4m、南北15.9m、講堂の基壇は、東西27.8m、南北17.9mである。さらに、道路に面したところには、西門の跡があり、発掘調査の成果から八脚門であったことがわかっている。
西門跡
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