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更新日:令和5(2023)年10月2日
ページ番号:315047
(どうぞうやくしにょらいざぞう)
重要文化財(彫刻)
昭和8年1月23日
印旛郡栄町竜角寺239(龍角寺)
龍角寺は、7世紀の後半に創建された下総国内で最古の寺院である。寺伝によれば、和銅2年(709)に竜が現れて創建したと伝えられ、また、天平3年(731)に大干ばつとなり、人々が雨乞いをしたところ、竜が現れて雨を降らせ、7日後、ふたたび竜が現れ頭、胴、尾の3つに分かれて落ちてきたという。頭が落ちたところが龍角寺。胴は、ここから西へ8kmほどのところに落ち、そこには龍腹寺(印西市龍腹寺)が建てられ、尾はどういうわけか、はるか東南の匝瑳市に落ち、龍尾寺(匝瑳市大寺)が建てられたという龍神伝説が残っている。
この像は、関東地方にある白鳳仏として、東京都調布市深大寺の銅造釈迦如来倚像(重要文化財)とともに有名である。像高は130cm、顔の長さは19.7cm、顔の幅は17cmで、現在は、全身が揃うが、首から上が白鳳期の作である。龍角寺は、江戸時代の元禄年間(1688~1704)に火災にあったため、この像も首から下が失われた。首から下は正徳年間(1711~1716)に改めて鋳造されたものである。
火災に遭ったために肌がやや荒れているものの、豊満な耳、切れ長の目、眉から鼻筋にかけての深い線、さらに微笑を帯びた口もとは、白鳳仏のもつ古式の笑みを表現している。
なお、正徳年間に鋳造し直された部分も当時の一級の鋳造技術によって作られており、顔の表現とよく調和している。
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