ここから本文です。
ホーム > 教育・文化・スポーツ > 歴史・文化 > 文化・文化財 > 文化財 > 市町村別の国・県指定および国登録文化財 > 印旛エリアの市町 > 印西市の国・県指定および国登録文化財 > 印西市の有形文化財(そのほか) > 宝珠院観音堂
更新日:令和5(2023)年8月8日
ページ番号:315065
(ほうじゅいんかんのんどう)
重要文化財(建造物)
昭和9年1月3日
印西市小倉三門口1114(宝珠院)
宝珠院観音堂は、スギやスダジイなどの巨樹が茂る旧手賀沼南岸の台地突端の閑静で長い石段を登ったところにあり、一般に「光堂」と呼ばれている。宝珠院は、貞観年間(859~877)開基と伝えられる古刹であるが、現在はこの観音堂のみとなっている。
宝珠院観音堂は正面3間、側面3間で、屋根は勾配を大きくつけた茅葺寄棟造の堂である。正面は両開きの桟唐戸があり、周囲に切目縁をめぐらし、柱はすべて円柱で、内部は後部2間が仏を祀る内陣、前部1間が外陣という構造になっている。
この堂は禅宗様式の影響を受け軒は一軒疎垂木で、内部は虹梁や大瓶束などを使わず細部の造りは簡素化されているが、仏像などを安置する須弥壇、本尊後方の左右の来迎柱は漆塗で、厨子、天井や壁上部の組物の一部にも美しい色彩装飾が施される。
昭和28年(1953)から29年(1954)の解体修理によって、厨子内に永禄6年(1563)の墨書銘が発見され、厨子の製作時期が判明した。堂の建立も構造的特徴から、ほぼ同時期と推定される。
関連リンク
お問い合わせ
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください