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更新日:令和5(2023)年8月8日
ページ番号:314855
(ほうらいじかんのんどう)
重要文化財(建造物)
昭和6年12月14日
市原市吉沢237-1(鳳来寺)
鳳来寺観音堂は、もとは善福寺の観音堂であった建物であるが、明治16年(1883)に善福寺が鳳来寺に合併され廃寺となった際、鳳来寺の境外仏堂として残された。
昭和6年(1931)に国宝、昭和25年(1950)文化財保護法制定に伴い有形文化財となったが、荒廃が著しく、昭和41年(1966)、42年(1967)の解体復原工事に伴い東に130mほど移動した。
堂は正面・側面共に3間の単層で、屋根は茅葺寄棟造である。柱はすべて粽柱(ちまきばしら)で、周囲に切目縁がめぐらされる。軒は二重の扇垂木で、二手先の組物を柱と柱の間にも入れる詰組を用いる。内部の床は拭板張で、天井のない部分からは扇垂木の配列も見え、梁や桁の組み方や軒回りの組物は簡素で力強く禅宗様の特徴を示している。これらの建築手法等から、建立年代は室町時代後期とされている。
鳳来寺観音堂の近くにある創立130年をこえる市原市立富山小学校校歌は、その3番で「昔をかたれ吉沢の観音堂よまつかぜよ」と鳳来寺観音堂のことを歌っており、地域との深い関わりの一端を示している。
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