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更新日:令和6(2024)年9月2日
ページ番号:16463
鎌倉時代 |
都川河口を寒川港と呼び、原始的舟着場であった。 |
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江戸時代 |
末期頃から海運業が盛んとなり、薪炭・米穀・葛粉等を江戸、横浜に運び、主に塩を移入した。 |
明治初期 |
明治6年千葉県が誕生し、舟運の中心市場町に県庁が置かれ、政治交通の中心として栄えた。 |
明治27年 |
総武線の開通により海運は漸次鉄道に移行し、寒川港は次第に衰退した。 |
明治43年 |
県は工事費約250,000円で都川河口及び全面水域を水深-2mにしゅんせつし船溜りを設け、民間資本でこの船溜りに沿い11万平方メートルの出洲埋立地を作り、荷揚場を移して港湾としての端初的形態を整えた。 |
大正11年5月27日 |
内務省告示第131号により港湾指定を受けた。 |
昭和15年 |
東京湾臨海工業地帯計画が内務省土木会議で決定され、その一環として、千葉市今井町地先海面300haの埋立を計画し200haを埋立てたが終戦で中止した。 |
昭和16年 |
海老川河口の漁船溜りを4年継続で、455,000円をもって水深-2m(面積16,800平方メートル)に整備した。 |
昭和22年12月26日 |
船橋、市川港が運輸省告示第349号公有水面埋立法により指定港湾となった。 |
昭和23年7月16日 |
千葉港及び船橋・市川港の港則法に基づく港域が決定された。 |
昭和25年11月20日 |
県議会全員協議会は川崎製鉄(株)を今井町地先埋立地に誘致することを決定した。 |
昭和26年5月1日 |
千葉県土木部千葉港湾建設事務所を設置した。 |
昭和28年3月25日 |
千葉港及び船橋港の港湾区域を決定(港管第735号。千葉県告示第149号)し、千葉県が千葉港及び船橋港の港湾管理者となった。 |
昭和28年3月25日 |
港湾法に基づき千葉港及び船橋港が地方港湾に指定された。 |
昭和28年6月 |
千葉航路、泊地、川崎正面岸壁が完成し、6月13日第1船高栄丸(10,000DWT、大同海運)が入港した。 |
昭和28年7月24日 |
千葉港管理条例が制定された。 |
昭和28年7月 |
千葉県警水上派出所、銚子測候所千葉分室が設置された。 |
昭和28年8月20日 |
東京海上保安部千葉分室が設置された。 |
昭和28年9月 |
横浜税関千葉出張所が設置された。 |
昭和28年9月27日 |
港湾運送事業法に基づく2種港に指定された。 |
昭和29年2月27日 |
法務省令第14号により出入国管理令上の出入国港に指定された。 |
昭和29年3月20日 |
港則法に基づく特定港に指定された。 |
昭和29年7月1日 |
千葉港(港則法上の区域、旧船橋・市川港を除く)が政令第150号により関税法上の開港に指定された。 |
昭和29年10月23日 |
東京電力(株)を誘致し、305,120平方メートル(92,460坪)の埋立工事に着手し31年10月完了した。 |
昭和31年6月8日 |
公有水面埋立法に基づき、千葉港が甲号港湾に、船橋・市川港が乙号港湾に指定された。 |
昭和32年5月20日 |
港湾法に基づく重要港湾に指定された。 |
昭和32年9月18日 |
五井、市原地区6,184,000平方メートル(1,874,000坪)の埋立工事に着手した。 |
昭和32年12月25日 |
港湾区域が拡張され、千葉市及び市原市の一部地先海面が港湾区域となった。 |
昭和33年4月10日 |
運輸省令第10号により港湾調査規則上の甲種港湾に指定された。 |
昭和35年3月30日 |
県営出洲内港1号上屋が完成し供用を開始した。 |
昭和35年 |
五井、市原地区の埋立が完成し、電力〔東京電力(株)〕、石油〔丸善石油(株)〕、造船〔三井造船(株)〕、化学〔チッソ石油化学(株)、旭硝子(株)、昭和電工(株)、大日本インキ(株)〕、電気〔古河電工(株)、富士電機(株)〕、金属その他〔不二サッシ(株)〕等の工場が進出し、一部が操業を開始した。 |
昭和35年 |
船橋、市川地区の埋立が進み、久保田鉄工(株)等各種企業が進出した。 |
昭和36年 |
五井、姉崎地区14,281,000平方メートルの埋立工事に着手した。丸善石油(株)、デンカ石油(株)、日産石油化学(株)、日本曹達(株)、宇部興産(株)、極東石油(株)、三井石油化学(株)、出光興産(株)、東京電力(株)、住友千葉化学(株)、日本板硝子(株)、吾嬬製鋼(株)等が進出した。 |
昭和37年3月22日 |
港湾法に基づく港湾区域が変更され市原市(南部)地先海面が港湾区域となった。 |
昭和37年3月28日 |
県営出洲内港2号上屋が完成し供用を開始した。 |
昭和37年10月1日 |
検疫法上の検疫港に指定された。 |
昭和40年4月1日 |
港湾法に基づく特定重要港湾に指定された。 |
昭和40年7月 |
日本カーフェリー(株)が、市原―川崎間に就航した。 |
昭和41年4月1日 |
運輸省千葉港工事事務所、銚子気象台千葉測候所が設置された。 |
昭和41年 |
袖ヶ浦地先4,012,000平方メートルの埋立工事に着手した。富士石油(株)、住友千葉化学(株)、日本燐酸(株)等が進出した。 |
昭和41年10月1日 |
船橋・市川港が港湾運送事業法に基づく2種港に指定された。 |
昭和42年8月1日 |
港則法に基づく港域が拡張された。 |
昭和42年9月1日 |
植物防疫法上の指定港となった。 |
昭和42年 |
39年中央地区の埋立工事に着手し、6,080,000平方メートルを造成し、内外貿ふ頭を中心に商港地区のほか、サイロ、製粉等食品コンビナート、流通団地、自動車団地、幸町住宅団地等が整備された。 |
昭和43年6月1日 |
船橋・市川港が千葉港に編入された。港湾区域が拡張され市川市の一部、船橋市、習志野市、千葉市、市原市、袖ヶ浦町の一部の5市1町地先海面が港湾区域になった。 |
昭和43年 |
長浦農林干拓地が工業用地に転換された。 |
昭和43年7月 |
国際海上V.H.F無線電話海岸局を横浜市中区山手町に設置した。 |
昭和43年8月 |
京葉シーバースがしゅん工した。 |
昭和44年1月 |
千葉中央ふ頭A岸壁が完成し供用を開始した。 |
昭和44年3月 |
千葉西部地区に商住宅地(海浜ニュータウン)を目途に7,190,000平方メートル(2,178,000坪)の埋立工事に着手した。 |
昭和44年4月30日 |
県営出洲1号上屋が完成し供用を開始した。 |
昭和44年7月 |
船橋地区公共外貿ふ頭を計画し、船橋中央A地区1,379,000平方メートルの埋立工事に着手した。また川崎製鉄沖合1,698,000平方メートルの埋立工事を開始した。 |
昭和44年9月1日 |
船橋・市川港(港則法上の区域)が家畜伝染病予防法上の指定検疫物の輪入指定港となった。 |
昭和44年10月14日 |
港湾区域が拡張され、袖ヶ浦町地先海面が港湾区域になった。 |
昭和45年4月 |
千葉清港会が千葉港区の海面及び港湾用地における清掃並びに船舶の廃油処理等の業務を行うため設置された。 |
昭和45年9月 |
千葉港廃油処理場(敷地面積約7,600平方メートル)が市原市五井南海岸に完成し供用を開始した。 |
昭和45年11月 |
千葉中央ふ頭に県営1号上屋(面積4,987.5平方メートル)が完成し供用を開始した。 |
昭和46年2月1日 |
家畜伝染病予防法に基づく指定港となった。 |
昭和46年3月 |
清掃船「せいこう」(12.26総トン)を建造した。 |
昭和46年3月 |
千葉中央ふ頭B、C岸壁が完成し供用を開始した。 |
昭和46年4月 |
千葉市川崎町地先工場用地〔川崎製鉄(株)〕第2期埋立工事を開始した。 |
昭和46年7月 |
京葉東地区埋立工事を開始した。 |
昭和47年5月 |
千葉市新港に塵芥焼却場(敷地面積4,670平方メートル)が完成した。 |
昭和47年7月 |
出洲ふ頭D・E岸壁が完成し、千葉―徳島間の定期航路オーシャンフェリーが就航した。 |
昭和47年7月10日 |
船橋・市川港(港則法の区域)が政令第279号により関税法上の開港に指定された。 |
昭和47年8月1日 |
船橋・市川港が植物防疫法に基づく指定港となった。 |
昭和47年9月 |
千葉中央ふ頭A、B、C岸壁に岸壁電話(7ヵ所)を設置した。 |
昭和47年10月 |
千葉中央ふ頭に県営中央2号上屋(面積5,250平方メートル)が完成し供用を開始した。 |
昭和48年2月 |
千葉信号所が出洲ふ頭から新港先端部に移設された。 |
昭和48年4月 |
船橋中央ふ頭北B、C、D岸壁及び船橋東ふ頭A~G岸壁が完成し供用を開始した。 |
昭和48年5月 |
千葉中央ふ頭D岸壁が完成し供用を開始した。 |
昭和49年1月 |
袖ヶ浦ふ頭A、B、C岸壁が完成し供用を開始した。 |
昭和49年7月 |
袖ヶ浦ふ頭2、3号物揚場が完成し供用を開始した。 |
昭和49年7月 |
日本カーフェリー(株)が市原―川崎間の定期航路を中止した。 |
昭和50年5月31日 |
県営出洲2号上屋が完成し供用を開始した。 |
昭和50年8月21日 |
葛南清港会が葛南区域の海面及び港湾用地における清掃の業務を行うため設置された。 |
昭和50年 |
袖ヶ浦ふ頭D、E岸壁が完成し供用を開始した。 |
昭和50年7月10日 |
港則法に基づく船橋・市川港の港域が千葉港に編入され葛南港区となる。 |
昭和50年10月 |
千葉―徳島間の定期航路として就航していたオーシャンフェリーが廃止された。 |
昭和51年2月4日 |
船橋中央ふ頭に県営内貿2号上屋(面積2,137.5平方メートル)が完成し供用を開始した。 |
昭和51年4月27日 |
人工海浜「いなげの浜」がオープンした。 |
昭和52年4月1日 |
船橋中央ふ頭南B、南C岸壁が完成し供用を開始した。 |
昭和52年4月1日 |
船橋中央ふ頭に県営内貿1号上屋(面積2,137.5平方メートル)が完成し供用を開始した。 |
昭和52年6月17日 |
船橋中央ふ頭南A岸壁が完成し供用を開始した。 |
昭和52年11月30日 |
港湾区域が拡張され、市川市(中部)地先海面が港湾区域となった。 |
昭和52年12月13日 |
市川ふ頭A、B岸壁が供用を開始した。 |
昭和53年1月 |
千葉港塵芥焼却場の処理能力を増強するため旧施設にかえ焼却能力30t/日(8h)を新設した。 |
昭和54年3月10日 |
人工海浜「幕張の浜」がオープンした。 |
昭和54年4月6日 |
県は蘇我地区に廃棄物最終処理場(171,016.76平方メートル)の埋立工事に着手した。 |
昭和55年1月25日 |
千葉西部(幕張A、C)地区第2工区(A地区2,350,116.64平方メートル、C地区925,226.91平方メートル)の埋立が竣工した。 |
昭和55年4月1日 |
船橋中央ふ頭に県営外貿1号上屋(面積4,900平方メートル)が完成し供用を開始した。 |
昭和55年7月18日 |
千葉中央ふ頭に千葉港船員サービスセンターを開設した。 |
昭和55年11月7日 |
千葉中央ふ頭F岸壁(-12m)が供用を開始した。 |
昭和55年11月17日 |
千葉県がポートランド港(アメリカ・オレゴン州)と姉妹港を提携した。 |
昭和56年3月25日 |
蘇我地区廃棄物埋立護岸が完成し、56年度から廃棄物の投棄を開始した。 |
昭和56年3月27日 |
清掃船「第2せいこう」(19.88総トン)を建造した。 |
昭和56年4月1日 |
船橋中央ふ頭に県営内貿3号上屋(面積2,180平方メートル)が完成し供用を開始した。 |
昭和57年3月19日 |
監督船「わかふさ」(14.80総トン)を建造した。 |
昭和57年4月 |
船橋中央ふ頭南D岸壁が完成し供用を開始した。 |
昭和57年10月 |
千葉港開港記念日を「7月1日」と制定した。 |
昭和58年4月 |
船橋中央ふ頭県営外貿2号上屋の供用を開始した。 |
昭和58年7月 |
船橋中央ふ頭南E岸壁が完成し供用を開始した。 |
昭和59年1月 |
京葉港湾労働者福祉センターが完成した。 |
昭和59年7月 |
千葉中央ふ頭G岸壁(-12m)、H岸壁(-12m)が完成し供用を開始した。 |
昭和59年12月 |
五井3号物揚場が完成し供用を開始した。 |
昭和60年4月 |
千葉中央ふ頭に県営中央3号上屋(面積5,258平方メートル)が完成し供用を開始した。 |
昭和61年4月 |
千葉中央ふ頭内貿物揚場(-4m)が完成し供用を開始した。 |
昭和61年6月15日 |
千葉ポートタワーが千葉ポートパークの一角に完成し県民の日にオープンした。 |
昭和63年4月1日 |
船橋中央ふ頭内貿5号上屋(面積2,675平方メートル)の供用を開始した。 |
昭和63年7月10日 |
人工海浜「検見川の浜」がオープンした。 |
平成元年4月 |
船橋中央ふ頭北J岸壁(-7.5m)が完成し供用を開始した。 |
平成元年6月15日 |
港湾視察船「若潮」(198総トン)が「県民の日」に就航した。 |
平成元年10月9日 |
幕張新都心地区に「幕張メッセ」がオープンした。 |
平成元年12月3日 |
千葉ポートタワー入館者が200万人を越えた。 |
平成2年4月 |
船橋中央ふ頭県営内貿4号上屋(面積2,672平方メートル)が完成し供用を開始した。 |
平成2年7月24日 |
千葉港湾事務所会議棟・「若潮」待合室が完成し供用を開始した。 |
平成3年2月27日 |
清掃船「せいこう」(16総トン)を建造した。 |
平成4年4月 |
船橋東ふ頭荷さばき地が完成し供用を開始した。 |
平成5年9月3日 |
千葉中央ふ頭I岸壁が完成し供用を開始した。 |
平成6年3月 |
測量監督船「わかふさ」(13総トン)を建造した。 |
平成6年6月 |
コンテナターミナルが完成し供用を開始した。 |
平成6年11月 |
コンテナフレートステーション(1,943平方メートル)が完成し供用を開始した。 |
平成7年8月 |
袖ヶ浦F3岸壁(-7.5m)が完成し供用を開始した。 |
平成9年4月 |
ガントリークレーンを増設し、供用を開始した。 |
平成10年10月 |
千葉ポートタワー入館者が500万人を超えた。 |
平成11年2月23日 |
防災・給水等多目的船「若葉」(85総トン)を建造した。 |
平成12年8月 |
船橋港親水公園(1.39ha)が完成し供用を開始した。 |
平成14年8月 |
袖ケ浦海浜公園に風力発電施設が完成し供用を開始した。 |
平成16年4月 |
袖ケ浦海浜公園(南袖ヶ浦緑地、面積8ha)が完成し供用を開始した。 |
平成16年7月 |
改正SOLAS条約に対応した埠頭保安対策を開始(千葉中央埠頭、市原埠頭、袖ヶ浦埠頭、船橋中央埠頭、船橋東埠頭)した。 |
平成17年11月 |
千葉中央ふ頭G岸壁の防舷材付替え工事が完了し4万トン級の大型船2隻が、毎週交互に寄港を開始した。 |
平成18年3月25日 |
清掃船「第2せいこう」(14総トン)を建造した。 |
平成18年3月31日 |
千葉中央ふ頭中央C野積場が完成し供用を開始した。 |
平成20年3月21日 |
千葉中央ふ頭12号荷捌地と13号荷捌地が完成し供用を開始した。 |
平成20年4月1日 |
船橋ボートパークが完成し供用を開始した。 |
平成23年3月31日 | 千葉港廃油処理場については、その役目を終了したため、廃止した。 |
平成23年4月1日 | 港湾法改正により、特定重要港湾から国際拠点港湾へ名称が改正された。 |
平成24年4月1日 | 千葉信号所を千葉市美浜区新港から、千葉市中央区中央港に移転し、供用を開始した。 |
平成24年10月1日 | 船橋中央ふ頭南E岸壁(-12m)の暫定供用を開始した。 |
平成24年10月 | 船橋中央ふ頭外貿4号荷さばき地が完成し供用を開始した。 |
平成25年1月 | 袖ケ浦海浜公園に設置されている風力発電施設を故障のため廃止した。 |
平成26年6月 | 船橋中央ふ頭南E岸壁(-12m)が耐震強化岸壁として供用を開始した。 |
平成27年3月 | 市川市塩浜一丁目の一部の区域を市川市都市計画臨港地区と決定した。 |
平成28年4月 | 千葉みなと駅前港湾緑地及び旅客船さん橋の一部供用を開始した。 |
平成29年1月 | 千葉港長期構想を策定した。 |
平成29年3月 | 千葉中央地区の一部の区域が、千葉市都市計画臨港地区として決定した。 |
平成30年3月 | 千葉中央地区の一部が、千葉市により「みなとオアシス千葉みなと」に登録された。 |
平成30年10月1日 | 千葉みなと2号浮桟橋が完成し供用を開始した。 |
平成30年12月25日 | 千葉港港湾計画を改訂した。(県報告示) |
平成31年2月1日 | 千葉中央ふ頭中央D野積場が完成し供用を開始した。 |
令和2年9月26日 | ガントリークレーン1号機を更新し供用を開始した。 |
令和3年3月19日 | 葛南中央地区及び東部地区の一部の区域が船橋都市計画臨港地区として決定した。 |
令和3年3月30日 | 千葉みなと緑地が完成し供用を開始した。 |
令和5年12月20日 | ガントリークレーン2号機を更新し、共用を開始した。 |
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