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更新日:令和4(2022)年10月24日

ページ番号:2957

第1回障害者差別をなくすための研究会議事概要

1.日時

平成17年1月26日(水曜日)午後6時から8時14分

2.場所

県庁中庁舎10階大会議室

3.出席者

赤堀委員、荒委員、安藤委員、内山委員、浦辺委員、加藤委員、小林委員、佐藤委員、塩野谷委員、清水委員、白川委員、高梨委員、高村委員田子委員、辻川委員、成瀬委員、西村委員、根本委員、野沢委員、舟田委員、堀口委員、森委員、山田委員、横山委員
(欠席委員:金子委員、近藤委員、野老委員、永島委員、宮前委員)

第三次千葉県障害者計画推進作業部会から:
朝比奈委員、植野委員、大屋委員

千葉県政策法務アドバイザー
千葉大学大学院専門法務研究科鈴木教授
※座長に野沢委員、副座長に佐藤委員、高梨委員が選任された。

4.議事概要

(竹林課長)

(障害者計画の経過等の説明)

(鈴木教授)

いい条例を作っていきたい。しかし条例には法律の範囲内でしか作れないなど限界もある。例えば罰則を設けるには警察庁と協議が必要。皆さんの思いが一番フィットするような条例とはどんなものか提案してみたい。

座長・副座長の選任

(横山副課長)

どなたか座長のご推薦は。

(山田委員)

全日本手をつなぐ育成会の野沢さんを推薦する。(拍手)

(野沢委員)

ただいまご指名の野沢です。私のような若輩者には大変荷が重い。しかし、第三次千葉県障害者計画の策定作業部会で「条例を作ろう」と言った言い出しっぺは私。その責任を取って座長をお受けしたい。

(横山副課長)

副座長をお二人お願いしたいが、座長から副座長のご推薦は。

(野沢委員)

では、佐藤彰一さん。法政大学大学院で教鞭を執り、私も日頃教えを請うているので。また、障害当事者の高梨さんにもお願いしたい。是非このお二方に。(拍手)

(佐藤委員)

ご指名いただいた佐藤です。法政大学大学院で教えているが、専門は民事訴訟法で、人権は専門外だが、法律家なのでそれを活かし、できるだけ足を引っ張らないよう励む。私も知らずに人権を侵害しているかもしれないので皆さんとともに勉強しながらやっていきたい。

(高梨委員)

視覚障害当事者としてご指名をいただいた。立派な方々の中で10年ほどいっぺんに年をとってしまいそうな気持ちだ。

かつて厚生省の「社会適応訓練」というのがあったが、「障害者は最大限の努力をして社会に適応するもの」という教育を受けて育ったので権利意識の低い観念が残っているのではと心配だが、足を引っ張らないように精一杯努力したい。

(以後の議事進行は野沢座長が行う)

(野沢座長)

では事務局から説明を。

(竹林課長)

資料2(検討項目)について。議論に枠をはめるつもりはないが、全くの白紙では議論が進まないので、検討項目と日程を試作してみた。半年では無理ではないかとも思うので、時間で区切らず拙速でない議論をしたい。

具体的な進め方には研究会の終わりで委員のご意見を伺いたい。

委員の方々には交通費なども含めて無償のボランティアでお願いしており大変心苦しい。長丁場で濃密な研究会になるが、よろしくお願いしたい。

各委員の自己紹介

(野沢座長)

障害者の親という立場から参加している。2001年に日本弁護士連合会が奈良で差別禁止法を作ろうというフォーラムを開いた。しかし、4年経つが残念ながらまだ法律はできない。フォーラムはそうそうたるメンバーだったが、障害当事者の中でしか盛り上がらなかった。しかし今回は教育関係者・企業関係者もいる。広く議論できる。差別の問題を通じて、人間のありよう、社会のありようを考えていきたい。

(赤堀委員)

浦安市の堀江公民館で7年間、障害者青年学級を担当している。多くの方に障害のある方を理解していただくのが仕事。年1回の福祉講座を行っているが、多くの市民に集まってほしいけれども難しい。

差別をなくすためには理解が必要だが、どのように理解を進めるかが重要。

(荒委員)

茂原で商売をしている。学校でPTAを、また、青年会の理事長をしている。これまで障害者の差別については深く考えたことはないが、皆さんと勉強していきたい。障害の定義についても例えば学習障害などいろいろあるので考えていきたい。

(安藤委員)

松戸に35年住んでいる一市民。今回応募したのは、日野原先生の提唱している会の正会員に年齢が至り登録することができたから。

余生をとにかく新しいことに挑戦し勉強していきたい。ささやかなボランティアをしている。まずふれあう、支え合う、そして感動を。一つでも二つでも確実に喜ばれるようにしたい。

(内山委員)

精神障害者の施設で働いている。差別禁止法にふれたのはADAができた年にアメリカに行ったこと。利用者に「配慮という差別」「面接も受けられない」という話を聞いた。

(田子委員)

精神障害者の作業所に通っている。今日は緊張しているが、当事者からの意見を言いたい。精神障害は理解が浅く、自分も治療を受けつつ働いているが、精神障害が受け入れられる社会にしたい。

(浦辺委員)

鴨川でホテルの営業をしている。旅館業ではいろいろな方がお泊まりになるが、どれが差別でどれが差別でないかよくわからない。それをこの研究会でホテルにフィードバックしながら、この機会をよりよい環境作りに活かしたい。

(加藤委員)

近畿日本ツーリストに勤務している。知的障害者の団体旅行中心に、施設の旅行をさせていただいている。下見で施設職員と一緒にあちこち行ったりしている。こちらも何が差別になるか分からず、いろいろとご迷惑をお掛けしている。差別とは何かをより勉強したい。

(小林委員)

現在は茨城キリスト教大学で教鞭を執っている。今までは神戸や茨城で勤めたりと、千葉に住みながら地元にあまり関われなかった。今回は県民として福祉向上に協力したい。

特に、見えない差別や逆差別について考えたい。かつて、車いすの学生と旅行したとき、いろいろと配慮したが、その際に「先生のやり方は逆差別」と言われてしまった経験がある。

(清水委員)

小学校で特殊教育を行っており、平成15年3月に定年退職した。ずっと障害児教育をしており、第三次障害者計画策定作業部会にも参加した。

昔、初任のころは、ダウン症は就学免除扱いだった。次は自閉症児を担当したが、周囲の理解不足で苦労した。生涯大学でつい先日も話をした。

今は、千葉市で学習困難な学校適応困難な子をどうしたら適応できるか巡回指導している。差別はいじめと同じで、差別を受けたという思いは、した相手の思いよりも、「差別を受けたという思いをした」ことが重要。

(白川委員)

がじゅまる所属。市川・浦安を中心に活動中。

普通学級に障害のある子を通わせる親は多いが、教育の差別の話があった。浦安では幼稚園や小学校は自分で選べる仕組みになっているが、親は「こんな配慮をしてほしい」という前向きなエネルギーは発揮できるが、低レベルと言えば低レベルだが、周りの親からの「何で一緒にいるの?」と言うような反応は、エネルギーをただ消耗する。

荷が重いが、意識を変えることへの期待は感じる。「手のかかる人と一緒にいたくない」というのは差別というのが親の思い。条例とそれになじまないところでどれだけ解消されるのか。なるべく母親の思いを代弁・実現できるように参加したい。

(舟田委員)

浦安で作業所に勤務。こんな大変な会議に参加させてもらい感謝している。

障害者は就職の職種がせばまりなかなか就職できない。希望する職種は会社の理解・サポートが少なく就職できない。少しでもサポートしてくれて、自分たちにも希望する職種ができるという自信を障害者にもつけてほしい。

(塩野谷委員)

佐倉在住。鹿嶋建設に勤務し、入社時は建築設計で、昨年からユニバーサルデザイン室ができ、ユニバーサルデザインについて研究中。

私は小学校の時に差別を感じた。その時の感情から、どうして差別禁止法がないのかと思った。またある時は、欧米では差別を感じないのに、なぜ日本では感じるのかとも考えた。千葉では成功するように頑張りたい。

(障害者計画推進作業部会植野委員)

塩野谷さんと同じく聴覚障害者。差別をなくす研究会への参加の理由は、数年前、差別的な法律の改正を目指す運動をしたため。これらの法律は改正され、一定の成果があったが、社会生活・メンタル面でまだ差別がある。条例作成の助けと勉強になれば。

(高村委員)

千葉市在住。この会では障害児差別について発言していきたい。保育所・学童保育に入れず、「障害児を持って働くつもりか」と言われる。

現在千葉市では21人の重度障害児がおり、学童も利用している。どんな重度障害の子も一人の子として堂々と乗り込む。差別禁止法を作っていけたらよい。

障害福祉課だけでなく関係する児童家庭課なども同席いただきたい。

(辻川委員)

障害児の父母の会所属。2年前に子が養護学校を卒業した。

支援費制度になり、佐倉市の重度作業所に毎日楽しく通っている。強く差別と感じたことはあまりないが、保育園に通えず、養育センターに4年通った。はじめは自分もとまどったが、お互い障害児を持つ親とも関わったりした。

養護学校に行くとき、地域の学校で就学相談をしたが、校長から突き放されて悲しい思いをした。しかし養護学校では12年暖かく過ごすことができた。

子のため、より深く世に理解してもらい、受け入れて助けてもらいたい。まだ不十分だ、12年の間に理解は進んだ。しかしまだ不十分。

自分の子が障害と分かったとき、地域に助けてもらえる関係に、隔たりを感じず普通の暮らしができるようにしたい。

(成瀬委員)

私は58歳の時に脊髄腫瘍で車いすになった。車いすは段差がなければどこでも行ける。しかし、病院ではバリアフリーだが、外に出ると段差があって動けない。これは人為的・物理的な差別。それ以後の生活は障害者差別をなくすためのものになった。

58歳で障害者になったが、障害者はどんなときに困るか周りの人には分からないが、差別も同じではないか。考えていきたい。

(知事来場)

(堂本知事)

こんばんは。今回「どのような差別をうけているか」に本当に大勢の方に応募していただいた。逆に言えばそれだけ差別がたくさんあるということ。第三次千葉県障害者計画を出した時に、私は「千葉県障害者地域生活づくり宣言」をした。

宮城県では施設解体宣言を出した。しかし、いくら施設を解体しても、本当に住みやすい地域がなかったら、施設にいた方は、施設を出るだけで幸せにはならない。

そうではなく、差別のない地域ができた時にはじめて、施設を出て地域で住むことで本当にその人らしく生きることになる。特別贅沢も必要ないし、特別ちやほやされることもない、普通の生活ができることがとても大切。

私達は「誰でも、その人らしく地域で暮らす」ということを言ってきたが、やはり障害の有無にかかわらず、女性だろうが男性だろうが、高齢者だろうが子どもだろうが、それぞれの人がその人らしく生きられることが一番大事だと思う。

私が一番辛いと思っていることは、障害者に対しての差別、あるいは外国人に対する差別、そして今や高齢者に対する年齢的な差別、虐待があること。これは差別のスタートであり、これらをどうやって私達が無くしていくか。

それは条例を作って無くなるものではない。600万人の千葉県民一人ひとりが、どこかで「差別をしない」ということを心がけて生きていくようにならなければ変らない。

そのためには条例を作るプロセスが必要。高らかに「私達千葉県民は、差別のない地域社会を作る努力をする」ということを宣言することが、条例作りにつながっていく。

その意味で、この研究会に皆様が御出席くださったことを、本当に嬉しく思っている。そして一滴一滴の水滴が集まって、利根川のような大きな流れに集まって、世の中の流れを変えていく勢いが今必要だと思う。

障害者に対する差別があれば、誰に対する差別もあるのだと思います。だから、障害者を差別しない地域社会は、外国人差別もないだろうと思う。

そういう千葉県になったら、どんなに外国人から好かれ、障害者からは、「千葉は暮らしやすいから、千葉へ行って暮らそう」となったら素晴らしいと思う。「千葉は生きにくいから他へ行きたい」などという辛い地域社会であってほしくない。

「理不尽な悲しい辛い思いをしている人はいませんか?」という問いかけを第三次千葉県障害者計画は呼びかけている。本当に理不尽な辛い思いをしている人を私はたくさん知っている。

特に精神障害のある人。以前秋田県の精神病院に行ったとき、保護室という刑務所の独房のようなところに中学3年生の男子が入っていた。「どうして君はこんなところに1ヶ月も入っていなければならなかったの」と聞いたら、「ツッパッていて、学校の先生とけんかしたら、父親が警察官に僕を渡して、僕はここに入れられた」という。どうして、全く理不尽に、子どもが格子の中に入れられなければならないのか。本当に辛い理不尽なことだと思った。

だから、条例を作って、少なくとも差別を受けたときに訴える先ができて、委員の皆様に真摯に検討していただき、理念だけではなく具体的に差別の目をつんでいく条例ができればよいと思う。

今日は前の予定と後ろの予定のちょうど間にこの研究会があったので、本当は最初から終わりまでお話を伺って、私も一人の委員として参加させていただければ一番よいのだが、それができなくて申し訳ない。また次の機会に出させていただきたい。

(拍手)

(知事退場)

(西村委員)

精神障害のグループホームを運営。主に精神障害を持つ方の差別について話したい。最近、地域の区長が代わり、防災について世話人と話をしに行ったら「親の育て方が悪い」などと精神論を説かれた。また、退院しグループホームに入りたいという人が、日頃接触のない家族から「退院したら家族が差別を受ける」などと反対され、その人は退院を断念した。無力で悔しい思いをした。本音で差別がなくなるとはどういうことか考えてみたい。

(根本委員)

現在、千葉薬品に勤務。最近は介護事業も行っており、無料宅配や相談事業もしている。また、県の陸上競技場を借りてマラソンをしたり、千葉大の教育実習生とキャンプをしたりしている。身体・知的・精神障害のある方と関わりが大きいので勉強していきたい。

率直に思ったことは、小売店を作るとき、成瀬さんの話からは「車いすで楽しく買い物できる店作り」を、また、舟田さんの話からは「障害者も働くことのできる店作り」を目指したいと思った。

娘が介護の現場で働いたり、姪の子に障害があることがわかったので福祉分野には関心がある。

(堀口委員)

国府台病院に勤務している。現在、将来を見据えた支援を考えると、社会資源が少なく、LD、ADHDなど福祉支援がない障害も多いのが課題。

現在、知的障害部にいるが、9年前は名称が精神薄弱だった。差別的な名称は変わったが、世間の認識はまだ変わっていないのではないか。考えていきたい。

(森委員)

佐原に在住しています。私自身は頚椎を骨折し、見た目では解らない障害を抱えています。家庭教師を本業としつつ、ボランティアで地域作りコーディネーターとして活動しています。精神障害者の家族会「かとり会」の賛助会員などをしています。詳しくはプロフィールを読んでください。

この会に参加する事を願い出たのに、こういう事を申しあげるのは誠に申し訳ありませんが、差別をなくすために条例を作らなければならないのは残念なことだと思っております。無機質な条例によらなければ有機的な人と人との関係を作れないのは悲しい事だと思います。行政をはじめ組織が硬直化しており、形式的なことばかり優先されているのが、人と人との有機的な関係を作れない原因であり、差別の助長になっていると考えます。しかしどうしても条例を作らざるを得ない状況であることは分かっておりますので、折角作るのであれば、意義あるものを作りたいと思っております。

(山田委員)

NPOで障害のある子とない子がともに育つ環境作りをしており、ビデオ「ひなたぼっこ」を作成したり、相談事業をしている。

ダウン症の息子が生まれてから、ごく普通の暮らしをしようとすればするほど、いかにバリアが高いかがわかった。

集めた事例は教育の事例が多いので、障害福祉課だけではなく県行政全体が取り組まねばならないと思う。

(横山委員)

以前から生まれ育った地元に貢献したいと思っていた。仕事は手話通訳と要約筆記だが、今回は精神障害当事者として参加。健常者として22年、障害者として11年過ごしてきたが、障害者としての前半は差別の連続だった。例えば、「服薬はトイレで」などと言われた。また、女性差別、高学歴差別など障害者同士の差別もあり、精神障害者同士で足の引っ張り合いをしているところがある。十分な睡眠が必要なので夜間の会議への出席は難しいが頑張りたい。

(障害者計画推進作業部会大屋委員)

本業は医師だが、自閉症児と知的障害児の親でもある。近々テレビ番組の放送があるのでご覧ください。県の人権施策推進委員会にも参加している。

(障害者計画推進作業部会朝比奈委員)

白川さんと同じ相談センターのがじゅまるに勤務している。地元の長生郡での活動のほか、安房郡でソ-シャルワーカーをしている。
「差別禁止」というとセンセーショナルだが、平たく言えば、障害のあるひとたちが参加していく街作りの問題を考えている。多くの人を委員に推薦した責任もあるので参加したい。

(佐藤副座長)

法政大学の教授をしている。千葉県民。私の子も重度の自閉症である。

法政大学に法科大学院ができたとき、法律事務所を作った。私も弁護士登録をして、知的障害者に関係する事件を中心に受けているが、思いのほか、たくさんの相談がある。親としての立場は15年になるが、15年というと、まだ若手かと思う。

副座長として、この意見をまとめていくのは大変そうだが頑張りたい。

(高梨副座長)

私の家族も皆知的障害の関係の仕事をしている。私自身が障害者であると同時に、障害者の支援もしている。韓国やネパールの支援活動もしている。

意識・無意識にかかわらず、差別は多く存在する。ユニバーサル社会を作るために、そこに住む人々が当たり前に暮らせるようにしたい。

諸外国にも障害者差別禁止法があるが、それをそのまま持ってきても、日本とは文化などの風土が異なるので、日本ならではの方法を考えていきたい。

(野沢座長)

韓国でもノ・ムヒョン(盧武鉉)大統領のもと差別禁止法を作ろうとしているようだが、現在の日本では、今のこの場しかないので頑張ろう。

今後の進め方について

(竹林課長)

進め方については、資料2を参照。これは全国初の試みなので、皆さんの意見を伺いながら進めたい。

資料5は、広がりのある運動としたいので、タウンミーティングを開きたい。

白川委員や朝比奈委員のいるがじゅまるが中心となって、2月20日に市川市の和洋女子大学で開かれる。何人かの委員から言及があったが、外国では差別禁止法がある。国内外の動きについて、障害者差別禁止法研究の権威である車いすの東弁護士の講演もある。共通認識に立つためにも、委員の方々にはなるべくご参加願いたい。

研究会の開催間隔は、当面、1~3月は月1回で様子見をしながら、4月以降は月2回くらいにしたい。タウンミーティングの議論をふまえ、議論していきたい。

資料3の事例は昨年9月から募集していたもの。まず、当事者の思いを集める必要があるので募集したが、しかし、生のものなので、類似例などは事務局で取捨して、2回目以降に再配布して議論したい。

委員の皆さんには、事例の分析と対処方策の考案を分担して、差別をなくしていく方策の提案について発表し、それについて委員で議論したい。

次に、条例の法的性格や、日本弁護士連合会の条文案の検討もしたい。これらを取りまとめて、ホームページに掲載することや、応募者多数のため委員を譲っていただいた方、企業関係者の方などからのヒアリングも予定している。

(森委員)

資料が膨大なので、研究会開催の前に、事前に読んでほしい資料を送付してほしい。

(竹林課長)

そうしたい。そこで、利便性向上のため電子メールを活用し、また、メーリングリストによる意見交換もしたい。

(山田委員)

障害福祉課だけでなく関係課の参加も求めたい。

(竹林課長)

情報は提供していく。都合のつく限り参加を求める。

(山田委員)

例えば、事前にどの課が出席するか教えてほしい。

(竹林課長)

今回出席の課は、健康福祉政策課、交通計画課、雇用労働課、教育庁特別支援教育課、政策法務課。

自治体では船橋市が出席している。自治体への広報も強化する。

(野沢座長)

この研究会に来てくれる課は我々も応援したい。

(事務局)

(資料説明)

  1. メーリングリストの案内について。(資料4)情報を共有し意見交換をするため。
  2. タウンミーティングについて。(資料5)自身が障害者で差別禁止法の第一人者の東弁護士に基調講演をお願いしている。委員の方々も進んでご出席を。
  3. 連絡方法の確認について。ご都合のよい方法を指定してほしい。できれば電子メールをご活用願いたい。
  4. 今後の日程について。次回は、ご提出いただいた日程表からは、2月28日が最多だったので、同じく6時から開催したい。
    他の研究会でも開催日を固定しているので、次回以降は第4月曜日としたい。月2回開催になった場合は、第2月曜・第4月曜としたい。

(成瀬委員)

2月28日はブレーメンの研究会と重複しているので、兼ね合いを考慮してほしい。

(竹林課長)

ブレーメンだけで6の研究会、全体で14の研究会がある。調整しきれないのが正直なところ。30人の人数ともなると全員同時出席は難しい。

(小林委員)

月曜に固定されると私は月曜日は仕事があるので委員を辞めざるを得ない。現役で仕事をしている方は同じような状況の方もいると思うので考慮してほしい。

(竹林課長)
次回研究会については、単純に2月28日に出られる人が多いので、ご理解いただきたい。

(成瀬委員)

それでは仕方ないのであきらめるが、できれば何とかしたい。

(小林委員)

曜日を固定するにしても、例えば月曜と週末など、交互にしてもらえればどちらか出られるのだが。

(野沢座長)

事務局で検討してほしい。私も一昨年アクションプランの委員だったが、一回も出席できなかった。しかしメーリングリストで一番発言したのは私だった。文章なので印象も強く残るし、得なので、うまく活用してほしい。

(竹林課長)

両論あるので3回目以降の開催期日は再検討する。

(野沢座長)

では時間なので今回はこれで終了としたい。

お問い合わせ

所属課室:健康福祉部障害者福祉推進課共生社会推進室

電話番号:043-223-2338

ファックス番号:043-221-3977

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