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更新日:平成29(2017)年3月1日

10.利根川水運と関宿水閘門・利根運河

2つの「選奨土木遺産」

利根川の水運と関宿藩

 江戸時代初期に利根川の東遷事業が行われると、関宿は利根川と江戸川の分岐点として、江戸の入り口を守る水運の要衝地となりました。江戸へ荷物を運ぶ船を改める関所がおかれ、関宿藩には代々譜代大名が配置されて、これを管理しました。その居城・関宿城の面影は、県立関宿城博物館にしのぶことができます。

 文政5年(1822)頃、利根川と分岐する江戸川の起点に「棒出し(ぼうだし)」と呼ばれる土手が築かれます。人工的に川幅を狭め、両岸を石枠や杭で固めたもので、江戸川に流入する水量を抑制して江戸川流域を水害から守ろうとするものです。また同時に、関所も棒出しの上に移されました。川幅が狭められ、船のチェックに都合が良かったからです。

首都を守る関宿水閘門

 明治以降も、利根川では洪水が頻発し、その防御のため、大規模な改修工事が進められることになりました。江戸川と利根川の合流部で流路の付け替えが行われ、江戸川の流頭部に水閘門(すいこうもん)が設けられました。水門は、ディーゼルエンジンで昇降する8門のゲートによって江戸川へ流れ込む水量を調節し、閘門は、船舶の航行を可能にするために水位を調節します。大正7年(1918)に着工、昭和2年(1927)に完成しました。これによって、それまで水量調節の役割を果たしていた棒出しは役目を終え、撤去されました。当時の日本では、大型建造物がレンガ造りからコンクリート造りへと移行していました。そのためコンクリート造りの関宿水閘門は、当時の建築技術を知る上で貴重な建造物として、平成15年度に土木学会選奨土木遺産(どぼくがっかいせんしょうどぼくいさん)に認定されています。

今に生きる利根運河

 一方、江戸時代後期頃より、野田から関宿にかけての利根川には土砂の堆積が進み、浅瀬ができて、船の運航に支障をきたしていました。特に冬は水量が少なく、2週間も船が動かないこともありました。明治に入ると増大する物資の輸送に対応するため、利根川と江戸川を運河でつなぐ計画が持ち上がります。オランダ人ムルデルの監督のもと工事が進められ、明治23年には全長8.5キロの利根運河(とねうんが)が完成しました。しかし運河の隆盛は長くは続きませんでした。鉄道の敷設が進み、貨物輸送が水運から鉄道へと移行するに伴い、通船は減少の一途をたどります。運河は洪水や土砂の浚渫に悩まされながら、ついに昭和16年、台風による洪水で破壊され、運河としての役割を終えました。現在は洪水調節水路となり、水辺が親水公園として整備されて市民の憩いの場になっています。周辺に広がる湧水地や里山等、豊かな自然環境も注目されています。平成18年度に選奨土木遺産に認定されました。

 江戸川と利根川の合流部に残る2つの土木遺産は、先人たちが川という自然に果敢に挑戦を続けてきた歴史を、今に伝えています。

江戸川の棒だし

江戸川の棒出し

関宿水門

関宿水閘門

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