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更新日:平成29(2017)年3月1日

11.白樺派と手賀沼の鳥の楽園

文人たちの創作活動と手賀沼の自然

湖畔に集った文化人たち

 明治後期から大正期にかけて利根川手賀沼の景観に魅されて多くの文化人が来訪しました。布佐(ふさ)町では柳田國男が少年期を過ごし、文学仲間の島崎藤村、田山花袋が訪れています。嘉納治五郎が別荘を建てたのをはじめ白樺派の志賀直哉、柳宗悦(やなぎむねよし)、武者小路実篤、バーナード・リーチたちも我孫子町に一時住みました。

 白樺派の創設者の武者小路実篤は、志賀直哉に勧められて、船戸の森に隣接する美しい森の中に邸宅を構え、大正5年(1916)から大正7年(1918)まで居住しました。ここで『日本武尊』『AとB』などを執筆しました。志賀直哉は大正4年(1915)から京都に移るまでの7年半にわたり、手賀沼を見下ろす高台にある住まいで、精力的な創作活動を行いました。この間、『和解』『暗夜行路』『城の崎にて』『小僧の神様』など、志賀文学の頂点をなす作品が執筆され、『雪の日』『流行感冒』には、我孫子の風景、風物が描写されています。民俗学の父といわれる柳田國男は、長兄で医師の松岡鼎(まつおかかなえ)と共に布佐で少年時代を過ごしました。利根川の風土に親しんだ少年期の経験は、後年柳田民俗学を築く礎となったと評されています。

鳥の楽園と手賀沼・古利根沼

 手賀沼は、江戸時代に老中・田沼意次や水野忠邦による干拓の努力は続けられたが、洪水被害や老中の失脚などによって失敗に終わりました。近年、生活排水により27年間「全国湖沼水質ワースト1」にありましたが、住民や、自治体、県、国の取り組みにより平成13年にワースト1を返上し、平成16年には「水質改善ベスト1」を実現しました。古利根沼(ふるとねぬま)は、明治45年(1912)の利根川流路変更工事で取り残された旧利根川の河道で、沼の貴重な自然を保全しています。

 山階鳥類研究所は、旧皇族の山階芳麿(やましなよしまろ)が、昭和17年(1942)に設立した日本で唯一の鳥類専門の研究所で、ヤンバルクイナの発見などで知られています。隣には、鳥の博物館もあり、トキのはく製や絶滅した巨鳥エピオルニスの卵など、貴重な資料を展示しています。

白樺派の文人たち

白樺派の文人たち
画像提供:調布市武者小路実篤記念館

手賀沼

手賀沼の風景

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