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更新日:令和3(2021)年8月12日

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28.房総捕鯨と房州ビワ

鯨文化とビワ栽培

房州ビワの栽培

 4月から6月の初旬にかけて、国道127号線を南下し南房総市旧富山町・富浦町に入ると「房州ビワ」というのぼりが至るところに立てられ、沿道の臨時の仮設店のほか、スーパー、みやげ物屋などあらゆる場所でビワやビワの加工品が販売されています。南房総地域は、現在、長崎に次いで全国2位のビワの生産量を誇り、品種は、従来からの「大房(おおふさ)」「田中(たなか)」を中心として、千葉県が育成した「富房(とみふさ)」や世界初の種なしビワ「希房」なども出回っています。

南房総市の鯨文化

 一方、安房地方は伝統的に鯨捕りが行われてきた地域です。江戸時代初期にはすでに鋸南町勝山で醍醐新兵衛により組織的な鯨漁が行われ、その後も拠点を館山・白浜・和田と移しながら、鯨捕りの伝統は明治大正・昭和の時代を経て、現在も引き継がれています。

 明治期の記録に、房総地方の捕鯨の特徴として、(1)東京に近いこと、(2)古くから捕鯨が行われており鯨漁の熟練者が多くいること、最後に(3)この地域に鯨肉(赤肉)を食べる習慣があり、当時一番の需要があった鯨油だけでなく捕れた鯨を余すことなく利用(消費)できる地域であることをあげています。現在、安房地方の郷土食となっている“鯨のたれ”も夏場に大量に捕られたツチ鯨の赤肉をいつまでも食べられるよう保存食として作られたものです。また、近年まで安房地方では、鯨が捕れた翌日に肉の量り売りする行商人がおり、捕獲される鯨を中心に鯨文化が長い年月をかけて培われてきました。

 昭和44年まで白浜町を拠点に捕鯨を行っていた東海漁業株式会社が鯨の肉・皮・骨から作った肥料を出荷していました。現在では残念ながら使用されていませんが、この鯨から作られた肥料は、様々な農作物に使われただけでなく、房州ビワの生産にも使用され、一時は房州ビワには鯨の肥料でなければだめだといわれたほどでした。

 房総地方に限らず伝統的に捕鯨を行っていた和歌山・高知・長崎などの地域では、現在もビワやミカンなどの果実が生産されています。鯨とビワ、一見無関係にみえる房州の名産はこのように見えない糸でつながっているのです。

ビワ

房州ビワ

白浜町のクジラ解体

大正15年、南房総市白浜町での鯨解体

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