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更新日:令和2(2020)年3月5日

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18.太平洋の海運と銚子のサンマ

海の幸と水上交通の要・銚子の繁栄

全国一位の漁獲量の銚子漁港

 房総半島から三陸海岸に至る太平洋海域は、北上する暖流の黒潮と南下する寒流の親潮が交差することで、種類も量も豊富な、世界三大漁場の一つに数えられています。この海域に面する、銚子漁港の2006年の水揚げ量は、26万1460トンにのぼり全国トップの座を占めています。カタクチイワシ・サンマ・マイワシ・サバ・キンメダイなどが漁獲量の多い魚種です。この中で、秋刀魚(サンマ)は、秋が深まるとともの北海道沖、三陸沖そして銚子沖へと南下するにつれに大型になり脂ものります。銚子のサンマは、質量共に秋の海の幸を代表する味覚です。高級魚のキンメダイは、その徹底した漁獲管理で、安定した漁獲を確保し、銚子を代表する魚種となっています。

関西漁民によって開かれた漁場

 魚は、銚子市余山貝塚(よやまかいづか)などからも知ることができるように、縄文時代から利用されてきた水産資源ですが、大量の漁獲物が他地域に流通するようになるのは、江戸時代になってからです。江戸時代の初め泉州・摂州・紀州の漁民は、相州・房州・上総・銚子・鹿島へと新しい漁場を開いていきます。銚子へは17世紀中頃の紀州漁民の移住の記録が残り、紀州有田郡広村の崎山次郎右衛門(さきやまじろうざえもん)による外川港築港が知られています。醤油醸造の技術も紀州からもたらされ、現在の醸造産業の基礎が築かれました。

太平洋の海運の要「銚子港」

 銚子港は、江戸時代から明治時代、陸上の鉄道網が整備されるまでの間、東日本太平洋航路の要の位置を占めていました。慶長14(1609)年、幕府は東北各藩に命じて銚子湊の築港を行います。潮の流れと帆に頼る帆船の時代、銚子から九十九里沖を経て房州を廻り江戸に至る航路も利用されましたが、江戸時代の初めに行われた利根川の東遷(とうせん)により、銚子から潮来・佐原・木下・関宿・流山・両国へ至る利根川と江戸川を利用する河川交通網が作られ、大量輸送の動脈の役割を果たしました。銚子港を経由して、東関東や東北地方の太平洋岸の各地から、米など様々な物資が江戸へ運ばれ、江戸からは、織物をはじめとする生活材や文化が東北地方の各地に運ばれました。銚子は、海路と河川交通の切り替わりの要の位置を占めていたのです。

 

銚子大漁満祝の図

銚子大漁満祝いの図

いわしの水揚げ

銚子漁港の水揚げ風景

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